年末の最後の終業式の日。
そのとき、わがクラスでは事件が起きていて、
その対応でたいへんな日でありました。
事件とは何かというと、Sくんがころんだことです。
Sくんがころんだのは、なにもない、床だけの、階段の手前の広い場所。
たいらで、つるっとしたところ。
自分でも
「なんでころんだのか、わかんない」
ところが膝頭をしたたかに打ちまして、
床にがくっと崩れ落ちた衝撃で、
ひざのお皿がとにかく痛いとのことで、
すぐに病院に運びました。
子どもたちは担任が突然いなくなることにも慣れてますから、
「あとは教室大掃除して、身の回り片付けて、時間になったらさようならして!」
とわたしが居なくなっても
「はーい」
という感じで、淡々とすごして時間になったら帰宅したようです。
わたしは何度もいぶかって、Sくんに確認したのですよ。
それは何かというと、
「なにかにつまづいたのでは? あるいは薄いシートのようなものの上に靴が乗って、すべったのでは? 床になにか落ちていたか?」
ということ。
ところが何度確認しても、そうではない。
何もないところで、Sくんはただ、簡単に言えば、自分から、勝手に転んだのです。
わたしは、最初、ひとは「なにもない、つるっとした、平面の床では、人というのはなかなか転ばない」と思い込んでいた。決めつけていた。
だが、実際には、ひとは「なにもない平らな面でもころぶ」のであります。
人間は、簡単にいうと、以下の2種類に分けられることを、今回理解しました。
ひとつは、「なにかにつまづいて転ぶ」タイプ。
こちらは、ふだん、地面をよく見ていません。
だから、石が顔を出しているとか、木の根っこがところどころにある場合に転びます。
もう一つは、「でこぼこしたところの方がしっかり歩ける」タイプ。
こちらは平らな方が歩きにくい、と感じています。
はっきりと、右、左、と重心を決めて、体重をそちらに交互に傾けることが好き。
山道などで、ちょっとした段差や階段など、左右に体重を移し替えて、ぐっと体の片側に交互に重心を置きながら歩くのが得意です。
だから、階段とか段差のあるところ、あるいは山道の方が転ばない。
でも、なんにもない、平らで、なめらかで、つるっとしたところだと、
「今、どちらに体重をかけていいんだか、わからなくなる」。
そこで、転ぶのです。
人間は得意不得意がありまして。
平らなところを転ばないで走る、という試験だと勝てる子も、
山道はどうか、と試験項目が変われば、まったく勝てません。
逆に、山道では大得意という子も、きれいな競技場のトラックだとうまく走れないのです。
今度駅伝がありますが。
あれはいいですね。チームですから。
山道が得意な子は、山道で。
市街地が得意な子は、市街地を走ればいいのです。
でも、個人対個人になると、やっかいです。
だから、人間は、得意な競技で勝てばいいわけね。
逆に言うと、不得意な競技で負けても、それはそれで、ぜんぜん大丈夫なわけだ。
わたしは、高校入試に「落語」があったらクラスで1位をとる自信があったねえ。
「音楽」に、ホーミーがないのも、惜しい。あるいは口笛、という単元があれば。
評価基準が変われば、世の中のありとあらゆる評価は、がらりと変わるでしょうナ。
大学入試に、落語があれば、と願うひとは、わたしだけでは無いでしょう。
人はなぜ平らな道でも転ぶのか。
なぜかというと、人間にはタイプがあり、それぞれに得意不得意があるから、ということになりますね。
どうでしょうか?
そのとき、わがクラスでは事件が起きていて、
その対応でたいへんな日でありました。
事件とは何かというと、Sくんがころんだことです。
Sくんがころんだのは、なにもない、床だけの、階段の手前の広い場所。
たいらで、つるっとしたところ。
自分でも
「なんでころんだのか、わかんない」
ところが膝頭をしたたかに打ちまして、
床にがくっと崩れ落ちた衝撃で、
ひざのお皿がとにかく痛いとのことで、
すぐに病院に運びました。
子どもたちは担任が突然いなくなることにも慣れてますから、
「あとは教室大掃除して、身の回り片付けて、時間になったらさようならして!」
とわたしが居なくなっても
「はーい」
という感じで、淡々とすごして時間になったら帰宅したようです。
わたしは何度もいぶかって、Sくんに確認したのですよ。
それは何かというと、
「なにかにつまづいたのでは? あるいは薄いシートのようなものの上に靴が乗って、すべったのでは? 床になにか落ちていたか?」
ということ。
ところが何度確認しても、そうではない。
何もないところで、Sくんはただ、簡単に言えば、自分から、勝手に転んだのです。
わたしは、最初、ひとは「なにもない、つるっとした、平面の床では、人というのはなかなか転ばない」と思い込んでいた。決めつけていた。
だが、実際には、ひとは「なにもない平らな面でもころぶ」のであります。
人間は、簡単にいうと、以下の2種類に分けられることを、今回理解しました。
ひとつは、「なにかにつまづいて転ぶ」タイプ。
こちらは、ふだん、地面をよく見ていません。
だから、石が顔を出しているとか、木の根っこがところどころにある場合に転びます。
もう一つは、「でこぼこしたところの方がしっかり歩ける」タイプ。
こちらは平らな方が歩きにくい、と感じています。
はっきりと、右、左、と重心を決めて、体重をそちらに交互に傾けることが好き。
山道などで、ちょっとした段差や階段など、左右に体重を移し替えて、ぐっと体の片側に交互に重心を置きながら歩くのが得意です。
だから、階段とか段差のあるところ、あるいは山道の方が転ばない。
でも、なんにもない、平らで、なめらかで、つるっとしたところだと、
「今、どちらに体重をかけていいんだか、わからなくなる」。
そこで、転ぶのです。
人間は得意不得意がありまして。
平らなところを転ばないで走る、という試験だと勝てる子も、
山道はどうか、と試験項目が変われば、まったく勝てません。
逆に、山道では大得意という子も、きれいな競技場のトラックだとうまく走れないのです。
今度駅伝がありますが。
あれはいいですね。チームですから。
山道が得意な子は、山道で。
市街地が得意な子は、市街地を走ればいいのです。
でも、個人対個人になると、やっかいです。
だから、人間は、得意な競技で勝てばいいわけね。
逆に言うと、不得意な競技で負けても、それはそれで、ぜんぜん大丈夫なわけだ。
わたしは、高校入試に「落語」があったらクラスで1位をとる自信があったねえ。
「音楽」に、ホーミーがないのも、惜しい。あるいは口笛、という単元があれば。
評価基準が変われば、世の中のありとあらゆる評価は、がらりと変わるでしょうナ。
大学入試に、落語があれば、と願うひとは、わたしだけでは無いでしょう。
人はなぜ平らな道でも転ぶのか。
なぜかというと、人間にはタイプがあり、それぞれに得意不得意があるから、ということになりますね。
どうでしょうか?
無意識に歩く足(右、左、右、左、、)を突然意識すると右、右、みたいに同じ足が少し出ちゃうのでこける。何度もやったので、意識して(みーひーみーひー)と階段登りしていたことを思い出しました。そういや下りは転んだことなかったな〜
あらまそうかい
がしました