子どもは、人生というのは、向うからやってくるものだ、と思っているのではないか?
まるでゲームのように。
ほら、あるでしょう。
ゲームセンターなんかで、道路が向うからつぎつぎと風景を変えながらやってくるサーキットゲームが。
運転席に乗り込むんだけど、その運転席が前に動くわけではない。
ゴーカートじゃないから。
ゲームセンターの床の上に置いてあるマシンだから。
ゲームセンターの隅の壁際に、自分自身はいつまでも停まっているわけ。
前に進んでいると思うのは、乗り込んだ人だけ。
マシンの横から客観的にその姿を見ている人からすると、
「あ、あの椅子に腰掛けた人、いそがしくハンドルを動かしているな」と見えるゲームね。
あー。
そうそう。そのゲームですよ。
思い出しました?
カーレース
(↑ これはちょっと古いかな)
こんな感じかもしれない。
子どもの感じ方って。
子どもからすると、自分が進んでいるんじゃなくて、人生が向うからやってくる。
ところが、大人はちがう。
自分が切り開いて、進んできた、と思っている。
自分が選択して、道を選んで、さらにはからまった茨(いばら)や蔦(つた)の葉をよけながら、大きな石を避けながら、小川を飛び越えながら、
自分こそが進んできた、という感覚がある。
だから、これからもずっと、前に進まなきゃいけない、と感じている。
そして、子どもに言う。
「人生と言うのは、イバラの道だ。四方八方に気を配って、怠りのないよう、勇気を出して進んでいくんだぞ」
↑ こう思っているからかもしれない。
だから、大人ってのは、毎日大変な思いをして生きている。
また、世の中の一方では、進むべき道が分からない、と悩んでいる人もいる。
自分には、やるべきことがわからない、いい道がない、どの道を進めばいいのか分からない、という。
そして、
「自分は停まっちゃった」
と思って、嘆いたり、みんなと比べて引け目を感じたり、する。
安心してください。
子どもは世界が違います。
人生の方が、向うからこちらに向かって、どんどんとやってくる。
進もうとしなくても、道に合わせてハンドルを動かしていけばいい。
ずーっと右に向かってハンドルを切ってみたり、ずーっと左に向かってハンドルを切ってみたり。
ただ、それだけ。
えーッ??
だったら、だったら、人生の意味は?
生きていくために必要な、生きる理由とは?
↑ ほらほら。
大人は、そこに「意味」や「理由」を探そうとするけど・・・。
子どもは、精いっぱいに生きている。
自分では決して、「自分が精いっぱいに生きている」なんて思わないのに。
そんなことを考えなくてもいいくらいに、精いっぱい生きているわけ。
目下のところ、大人に向けて大きくなるぞ、というだけで、すごい充実している。
大人のように、なにかを達成するために生きているわけでないのに、充実してる。
大人になればなるほど、「どうやったら充実するのかわからない」となっていく。
大人は、なにかをやるのが人生だ、と考えて、前へ進もう、となる。
反対に、子どもは、「人生の方からぐんぐんとやってくる」と思ってる。
まるでゲームのように。
ほら、あるでしょう。
ゲームセンターなんかで、道路が向うからつぎつぎと風景を変えながらやってくるサーキットゲームが。
運転席に乗り込むんだけど、その運転席が前に動くわけではない。
ゴーカートじゃないから。
ゲームセンターの床の上に置いてあるマシンだから。
ゲームセンターの隅の壁際に、自分自身はいつまでも停まっているわけ。
前に進んでいると思うのは、乗り込んだ人だけ。
マシンの横から客観的にその姿を見ている人からすると、
「あ、あの椅子に腰掛けた人、いそがしくハンドルを動かしているな」と見えるゲームね。
あー。
そうそう。そのゲームですよ。
思い出しました?
カーレース
(↑ これはちょっと古いかな)
こんな感じかもしれない。
子どもの感じ方って。
子どもからすると、自分が進んでいるんじゃなくて、人生が向うからやってくる。
ところが、大人はちがう。
自分が切り開いて、進んできた、と思っている。
自分が選択して、道を選んで、さらにはからまった茨(いばら)や蔦(つた)の葉をよけながら、大きな石を避けながら、小川を飛び越えながら、
自分こそが進んできた、という感覚がある。
だから、これからもずっと、前に進まなきゃいけない、と感じている。
そして、子どもに言う。
「人生と言うのは、イバラの道だ。四方八方に気を配って、怠りのないよう、勇気を出して進んでいくんだぞ」
↑ こう思っているからかもしれない。
だから、大人ってのは、毎日大変な思いをして生きている。
また、世の中の一方では、進むべき道が分からない、と悩んでいる人もいる。
自分には、やるべきことがわからない、いい道がない、どの道を進めばいいのか分からない、という。
そして、
「自分は停まっちゃった」
と思って、嘆いたり、みんなと比べて引け目を感じたり、する。
安心してください。
子どもは世界が違います。
人生の方が、向うからこちらに向かって、どんどんとやってくる。
進もうとしなくても、道に合わせてハンドルを動かしていけばいい。
ずーっと右に向かってハンドルを切ってみたり、ずーっと左に向かってハンドルを切ってみたり。
ただ、それだけ。
えーッ??
だったら、だったら、人生の意味は?
生きていくために必要な、生きる理由とは?
↑ ほらほら。
大人は、そこに「意味」や「理由」を探そうとするけど・・・。
子どもは、精いっぱいに生きている。
自分では決して、「自分が精いっぱいに生きている」なんて思わないのに。
そんなことを考えなくてもいいくらいに、精いっぱい生きているわけ。
目下のところ、大人に向けて大きくなるぞ、というだけで、すごい充実している。
大人のように、なにかを達成するために生きているわけでないのに、充実してる。
大人になればなるほど、「どうやったら充実するのかわからない」となっていく。
大人は、なにかをやるのが人生だ、と考えて、前へ進もう、となる。
反対に、子どもは、「人生の方からぐんぐんとやってくる」と思ってる。