持久走大会が開催される。
昨日、子どもたちにそのことを伝えた。
いろんな反応がある。
やる気十分の子、文句ばかりの子、と分かれる。
なんで文句が出るのか、ちっとも理解不能である。
だって、持久走って楽しいじゃないですか。
みんなフーフー言って走るし、へばりそうになっても足は動くし、人間の体って不思議だなあとすごく実感できる。
ところが文句をぶーたれている子に言わせると、
「だってわたし遅いんだもん」
という。
遅くたっていいじゃないか、と言うと、
「いいえ、遅いのはダメです」
という。
いつから遅いのがダメで、速いのが良いとなったのだろうか。
わたしはぴんときて、
「ははあ、みんな、運動会の徒競走と混線しているでしょう。誤解だよ、誤解」
と解説したが、子どもたちはなんとなく目つきが暗く、口元をひきしめている。
あなたたちは『だって、速い方がいいではないか』というけど、どうして速い方がいいのかをちゃんと説明できるの?
と問うが、
子どもたち、だれも説明できない。逆に、
じゃあ先生、なんのために持久走やるの?
と聞いてくるから、クラス会議をやった。
すると、一生懸命に走ることはいいことだ、という子がいる。
賛成も多数。
さっきまで、マラソンやだー、と文句を言っている子まで、「そこは賛成」と言うので驚いた。
なぜ一生懸命に走ることはいいことなんだろうか?
わたしは輪の真ん中で、しずかに、問いかけていく。
子どもたちは車座になって、とくに順番も決めずに思いついたなりに話す。
だれもがお互いの顔をみて、その話を聞いている。
多数決で決める、ということではないから、どこまで自分の考えが深まったかが大事だ。
しずかに、しずかに、みんなでお互いのちょっとしたセリフを聴きあう。
いいなあ、車座って。
子どもたちから、健康になる、自分の体のことがわかる、限界を知れる、走り方がわかる、など・・・いろいろ出る。
わたしは中央に座っているが、大きな輪のあらゆる方向から、意見が出てくるのが面白い。
たくさん意見が出されてから、最後にとっておきの質問をした。
ゆっくり、言葉を区切って、はっきりと。
持久走大会は、きらいなことですか。
子どもたち、きょとんとしている。
わたしは、中央に座っていたが、あらためて座りなおした。
で、しずかに、繰り返した。
持久走大会は、きらいなことですか。
すると、やはり女子のほとんどが、
「きらいです」
ときっぱり言う。
わたしは頭の中がまっしろになった。
おそらく、体育だって持久走大会だって、きらいだと思っている子はいるだろう。
今、世の中はSDGSだ。つまり、持続可能な社会をめざしている。
その、持続可能な社会を担う子どもらが、
「体育はきらい。二度とやりたくない」
と言ってしまえば、実はSDGSは破綻する。
だって、その子にとって『体育』は持続しないのですぞ。
学校は、教師は、「持続可能な体育」をやるしかない。
いったいなにが、持続可能な体育なのか。
その子にとっても、教師にとっても、学校にとっても、
ひとりの生涯にわたっての持続可能な体育であり、
社会全般が、「持続可能な体育」をその内部にふくんだ社会でなければ。
「順位が関係ないならいいけど」
女子のひとりが言った。
わたしはすぐさま
関係なし!
と叫んだが、
体育主任の先生の机の上には、ちゃんと賞状が印刷してあったのを見たから、
ちょっとうしろめたい気持ちになりました。
昨日、子どもたちにそのことを伝えた。
いろんな反応がある。
やる気十分の子、文句ばかりの子、と分かれる。
なんで文句が出るのか、ちっとも理解不能である。
だって、持久走って楽しいじゃないですか。
みんなフーフー言って走るし、へばりそうになっても足は動くし、人間の体って不思議だなあとすごく実感できる。
ところが文句をぶーたれている子に言わせると、
「だってわたし遅いんだもん」
という。
遅くたっていいじゃないか、と言うと、
「いいえ、遅いのはダメです」
という。
いつから遅いのがダメで、速いのが良いとなったのだろうか。
わたしはぴんときて、
「ははあ、みんな、運動会の徒競走と混線しているでしょう。誤解だよ、誤解」
と解説したが、子どもたちはなんとなく目つきが暗く、口元をひきしめている。
あなたたちは『だって、速い方がいいではないか』というけど、どうして速い方がいいのかをちゃんと説明できるの?
と問うが、
子どもたち、だれも説明できない。逆に、
じゃあ先生、なんのために持久走やるの?
と聞いてくるから、クラス会議をやった。
すると、一生懸命に走ることはいいことだ、という子がいる。
賛成も多数。
さっきまで、マラソンやだー、と文句を言っている子まで、「そこは賛成」と言うので驚いた。
なぜ一生懸命に走ることはいいことなんだろうか?
わたしは輪の真ん中で、しずかに、問いかけていく。
子どもたちは車座になって、とくに順番も決めずに思いついたなりに話す。
だれもがお互いの顔をみて、その話を聞いている。
多数決で決める、ということではないから、どこまで自分の考えが深まったかが大事だ。
しずかに、しずかに、みんなでお互いのちょっとしたセリフを聴きあう。
いいなあ、車座って。
子どもたちから、健康になる、自分の体のことがわかる、限界を知れる、走り方がわかる、など・・・いろいろ出る。
わたしは中央に座っているが、大きな輪のあらゆる方向から、意見が出てくるのが面白い。
たくさん意見が出されてから、最後にとっておきの質問をした。
ゆっくり、言葉を区切って、はっきりと。
持久走大会は、きらいなことですか。
子どもたち、きょとんとしている。
わたしは、中央に座っていたが、あらためて座りなおした。
で、しずかに、繰り返した。
持久走大会は、きらいなことですか。
すると、やはり女子のほとんどが、
「きらいです」
ときっぱり言う。
わたしは頭の中がまっしろになった。
おそらく、体育だって持久走大会だって、きらいだと思っている子はいるだろう。
今、世の中はSDGSだ。つまり、持続可能な社会をめざしている。
その、持続可能な社会を担う子どもらが、
「体育はきらい。二度とやりたくない」
と言ってしまえば、実はSDGSは破綻する。
だって、その子にとって『体育』は持続しないのですぞ。
学校は、教師は、「持続可能な体育」をやるしかない。
いったいなにが、持続可能な体育なのか。
その子にとっても、教師にとっても、学校にとっても、
ひとりの生涯にわたっての持続可能な体育であり、
社会全般が、「持続可能な体育」をその内部にふくんだ社会でなければ。
「順位が関係ないならいいけど」
女子のひとりが言った。
わたしはすぐさま
関係なし!
と叫んだが、
体育主任の先生の机の上には、ちゃんと賞状が印刷してあったのを見たから、
ちょっとうしろめたい気持ちになりました。