拝啓

あなたの担任になって、もうかれこれ半年以上が過ぎました。
春、見事に花を咲かせいていた校庭の桜はすっかり落ち葉になってしまいました。
そして、その落ち葉の掃除も、もう終わりました。
時の流れははやいものですね。

さて、大縄跳びがきらい、と断言したあなたは、その後大縄跳びの練習には入りません。
ずっとそばで見ているあなたを見ていて、先生はあなたが寒くて風邪をひかないようにとばかり、願っています。

他のクラスのことは知りませんし、前年度この学校の大縄跳びがどうだったかというこれまでの歴史も知りません。
しかし、先生は、大縄跳びは楽しいと思います。
だって、人間がジャンプするだけでも楽しいじゃないですか。
先生のうちの子は、トランポリン大好きですぜ。
ポンポンと跳ねながら歌うので、舌をかまないか、と心配しています。

さて、大縄跳びが嫌いだという子は、多いですね。
あなたに限らず。
先生が教師という職業をはじめてからだって、何人もそういう子に出会ってきました。

「だって、ひっかかったら、男子にすごい目でにらまれるんだよ。あれすごくいやなんだ」

まあ、そういうことがいやなんですよね。
だから、純粋に「大縄跳びがいやだ」というわけではない。
そこは分離して考えましょう。

大縄跳びがいやなのか、男子ににらまれるのがいやなのか。
もっと深堀りすると、
「そうやってひっかかることを失敗と規定し、その失敗をすると記録にならないから自分たちの失点だと考え、クラスとしての競争意識が満足できないから、だから足をひっかけた子のことを責める」
という文化そのものがいやなのでしょうかね?

まあ、その男子はかなりの勘違いをしています。
まず、ひっかかることで記録数が少なくなりますが、そもそも記録数を伸ばすことが大縄跳びの目的ではありません。まあ体育主任の先生が「よい記録を伸ばしましょう」と言うかもしれませんが、まああんなのは、先生の勝手な都合です。もしかしたら、体育主任の先生も、そんなことを言いたくないかもしれません。でも、ゲームにするとなんとなく盛り上がる雰囲気があるので、それをするのが癖になっているのでしょう。

それから、ひっかかって記録数が多くならないことが、クラスの名誉失墜に当たるかどうか、ということですが、だれかの足がひっかかることがクラスの名誉失墜にはならないと思いますし、クラスの価値が低下する、ということもないと思います。足がひっかからないと「スゴイ」かどうか・・・。「すげえ!足がひっかからなかった!」と鼻たかだか、になる?
そうなる人もいるけど、そうじゃない人もいるでしょう。

さらに、その足をひっかけた子を責めると、その子が次回は足をひっかけなくなるかどうか。
責められて、逆に緊張して足を引っかけるかもしれません。どうするのでしょうか。
責められて気を付けようと思う子が50%いるかわりに、逆に緊張してひっかけてしまう子も50%いるだろうと思いますが、その件についてはどうするのでしょう。

だから、責めるかどうするか、というところに、戦略もなにもないわけで、まああまり賢い方法ではありません。男子が声を荒げて、

「てめえ、ひっかけんじゃねーよ!」

と言ったことがあったなら、それが目的を達成するための行為なのかどうか、クラスで会議をした方がいいでしょうねえ。

つまり、去年までの大縄跳びで、あなたは相当、つらい目にあったのでしょう。
そして、それがトラウマになっているようです。
だから、「大縄跳びの目的は何か」を考えればいいのではないでしょうか。

競争?知りません。
わたし、この頃、「競争」という意味が、よく分からなくなっているので・・・。

競争するから頑張れる?
競争しないと頑張れない?え、その意識じゃないと、ぜったいに頑張れない・・・?
それはまずい。だって社会に出たら、ぜんぶがぜんぶ、競争ばかりじゃないもの。

あー、わかった。大縄跳びの真の目的は、跳んだ瞬間に、空が近くなるんで、みんな青空に親近感が増す、ということではないでしょうか。

え?ちがう? じゃ、何なのでしょう? みんなで地球を揺らすため? それもちがう?
えーなんだろ・・・
あー、わかった。できるだけ天の神さまに近づくためってか。
ちがうわねー

そうそう。そうやって、目的を考えるのがいちばん大事。

バベルの塔