電子ボードは、何年か前に、市教委から「鳴り物入り」で学校に配備された、最新の機器であります。
これをもって授業その他を行えば、
「児童の参加型学習指導が行える」
というのが、当時の説明でありました。
画面に映された、学習課題。
その画面にタッチさえすれば、たちどころに画面が反応し、テンポよく授業を進めることができる。
児童はタッチペンを使い、40インチの大画面に、思うさま、自分の考えをそこに描くことができ、賛成する児童はそこに付け足しを、反対する児童は別の考えをそこに書きつけて、全員の思考をずんずんと深めることができる。
なによりもすばらしいのは、そこに現れる、写真の数々だ。
クオリティの高い写真を見て、どんな子どもたちも、学習課題に前のめりになり、視覚優位の子どもたちの興味もぞんぶんに惹きつけることができる・・・・・・。
ところが、この電子ボードが、あまり、使われていないのであります。
市教委主催の研修に行くと、さっそくにそのことが話題になり、
「どうも、先生方、この装置の魅力をご存じでないようで」
という説明の後に、いかにこの装置が魅力的か、授業にどんなふうに生かしたらよいのか、懇切丁寧な説明が繰り返されたのです。
ところがこれは的外れでありまして、こんな説明をしても、先生たちは、「使わない」。
なぜかというと、原因は、職員同士の人間関係に起因するのでありました。
情報機器教育担当の方は、半年たってもまったく使われないこの装置を、どうにか使ってもらえるようにと、
次の手段に出ます。
最初、
魅力が伝わっていない
ということで、授業での使い方、ユースウェアを説明していた市教委でしたが、次は脅迫に出ます。
実際の使用頻度について、毎回記録をしてください。何年何組が何時間使ったか、データをとります。
ということを言い、各クラスで、実施することを、暗黙に要請します。
しかし、先生たちは、使わない。
やっきになった市教委は、
さらに!! 次なる手段に出ます。
校長会に訴えたのです。
指導を受けた校長たちが、次は具体的に職員室の先生方に、直に指導するようになりました。
「先生方、この装置には、たいへんなお金がかかっております。これをば遊ばせ、使わないのであれば、これはすなわち、税金の無駄使いということになる。今、たいへんにマスコミ、保護者からの視線が厳しくなっているこのご時世で、税金の無駄遣いということはあってはなりません。ぜひ、ひと月に一度は、授業で使用してほしい」
校長が檄をとばしても、この装置は使われない。
やがて、2年経ちます。
校長も半分あきらめ、市教委もあきらめ、夏の研修のときには、市教委の主事先生が
「なかなか使われずに、ほこりをかぶった電子ボードがあるそうで・・・」
という苦笑交じりのスピーチをすると、会場の先生方からも笑い声が漏れるほどで。
これ、不思議ですよね。
会議室(現場以外)で考えることには、的外れが多い、というのは、ずばりこういうことだろうと思います。
状況を変えよう、ということばかり、考えているし、「状況」の話ばかりしている。
「だって、ガッコウに1台しかないですからね。使うと目立つし、他の先生たちが使いたい時に、本当は使いたかったのに、その時間に〇〇先生が使ってたから使えなかったのよ、って言われたら、いやですもん」
つまり、
「ベテランの、文句を言われない先生たちだけじゃないですか。使えるのは・・・」
ですって。
「いつ使っても、だれも文句や陰口を言われない、ベテランズの先生たちだけが使えると思いますよ」
若手の先生は、使えない、ということね。
いろいろと、あとで言われるのがイヤだから。
ベテランの先生にあれこれと言われたり、使ってどうだったかとか、あれこれ説明することになったら面倒だし、ともかく奇をてらった行動のように思われて、とばっちりを受けるのがいやだから、使わないのが一番、ということのようでした。
もしもこれを聞いたら、市教委の先生は何をいうのか知りませんが、
「そんな遠慮しないで、高い備品ですから使って下さい」
というのでしょうが、「使って下さい」といわれても、根幹の「人間関係」ができていないから、使えないのです。
こんな、気を使ったり、気をもんだり、自分の言いたいことが言えなかったり、自分のやりたいことがやれなかったり、陰で相手のことをあれこれ言ったり、悪く言ったり、圧力をかけてやりたいことをさせなかったり、目立つ行動をとやかく言ったり、それを恐れて縮こまったり、あれこれ言われるのがイヤでやれなかったり、遠慮したり、びくびくしたり、おどおどしたり、わたしは間違っているのではないかと不安に思って窮屈になったり、・・・・
そこから脱却するにはどう考えるか、と。
ここが「教育革命」の第一歩だと思います。
ちまたで言われるような「教育界を変える!」というものの、ほとんどは、この話とは無関係だから惜しい。
教育革命とは、職員室の人間関係の革命、ということを抜きにしてはすべて机上の空論化してしまします。「世の中のすべての問題は結局は人間関係の問題に起因する」のです。
このことを、「ヒト間課題起因説」といいます。
不思議ですよね。ただの電子機器の活用方法に問題がある、と人は認識しているのに、
その根本をしらべていくと、人間関係に起因していく、となっていく。
社会問題ならわかりやすいですが、電子機器の利用ですよ。こんなものまで、すべてヒト間に起因するなんて・・・。
コロナもつまるところ、この「ヒト間課題起因」かもしれませんぜ。

これをもって授業その他を行えば、
「児童の参加型学習指導が行える」
というのが、当時の説明でありました。
画面に映された、学習課題。
その画面にタッチさえすれば、たちどころに画面が反応し、テンポよく授業を進めることができる。
児童はタッチペンを使い、40インチの大画面に、思うさま、自分の考えをそこに描くことができ、賛成する児童はそこに付け足しを、反対する児童は別の考えをそこに書きつけて、全員の思考をずんずんと深めることができる。
なによりもすばらしいのは、そこに現れる、写真の数々だ。
クオリティの高い写真を見て、どんな子どもたちも、学習課題に前のめりになり、視覚優位の子どもたちの興味もぞんぶんに惹きつけることができる・・・・・・。
ところが、この電子ボードが、あまり、使われていないのであります。
市教委主催の研修に行くと、さっそくにそのことが話題になり、
「どうも、先生方、この装置の魅力をご存じでないようで」
という説明の後に、いかにこの装置が魅力的か、授業にどんなふうに生かしたらよいのか、懇切丁寧な説明が繰り返されたのです。
ところがこれは的外れでありまして、こんな説明をしても、先生たちは、「使わない」。
なぜかというと、原因は、職員同士の人間関係に起因するのでありました。
情報機器教育担当の方は、半年たってもまったく使われないこの装置を、どうにか使ってもらえるようにと、
次の手段に出ます。
最初、
魅力が伝わっていない
ということで、授業での使い方、ユースウェアを説明していた市教委でしたが、次は脅迫に出ます。
実際の使用頻度について、毎回記録をしてください。何年何組が何時間使ったか、データをとります。
ということを言い、各クラスで、実施することを、暗黙に要請します。
しかし、先生たちは、使わない。
やっきになった市教委は、
さらに!! 次なる手段に出ます。
校長会に訴えたのです。
指導を受けた校長たちが、次は具体的に職員室の先生方に、直に指導するようになりました。
「先生方、この装置には、たいへんなお金がかかっております。これをば遊ばせ、使わないのであれば、これはすなわち、税金の無駄使いということになる。今、たいへんにマスコミ、保護者からの視線が厳しくなっているこのご時世で、税金の無駄遣いということはあってはなりません。ぜひ、ひと月に一度は、授業で使用してほしい」
校長が檄をとばしても、この装置は使われない。
やがて、2年経ちます。
校長も半分あきらめ、市教委もあきらめ、夏の研修のときには、市教委の主事先生が
「なかなか使われずに、ほこりをかぶった電子ボードがあるそうで・・・」
という苦笑交じりのスピーチをすると、会場の先生方からも笑い声が漏れるほどで。
これ、不思議ですよね。
会議室(現場以外)で考えることには、的外れが多い、というのは、ずばりこういうことだろうと思います。
状況を変えよう、ということばかり、考えているし、「状況」の話ばかりしている。
「だって、ガッコウに1台しかないですからね。使うと目立つし、他の先生たちが使いたい時に、本当は使いたかったのに、その時間に〇〇先生が使ってたから使えなかったのよ、って言われたら、いやですもん」
つまり、
「ベテランの、文句を言われない先生たちだけじゃないですか。使えるのは・・・」
ですって。
「いつ使っても、だれも文句や陰口を言われない、ベテランズの先生たちだけが使えると思いますよ」
若手の先生は、使えない、ということね。
いろいろと、あとで言われるのがイヤだから。
ベテランの先生にあれこれと言われたり、使ってどうだったかとか、あれこれ説明することになったら面倒だし、ともかく奇をてらった行動のように思われて、とばっちりを受けるのがいやだから、使わないのが一番、ということのようでした。
もしもこれを聞いたら、市教委の先生は何をいうのか知りませんが、
「そんな遠慮しないで、高い備品ですから使って下さい」
というのでしょうが、「使って下さい」といわれても、根幹の「人間関係」ができていないから、使えないのです。
だって、人間だもの
いろいろと、言われるのが、イヤ
なんですよ。
こんな、気を使ったり、気をもんだり、自分の言いたいことが言えなかったり、自分のやりたいことがやれなかったり、陰で相手のことをあれこれ言ったり、悪く言ったり、圧力をかけてやりたいことをさせなかったり、目立つ行動をとやかく言ったり、それを恐れて縮こまったり、あれこれ言われるのがイヤでやれなかったり、遠慮したり、びくびくしたり、おどおどしたり、わたしは間違っているのではないかと不安に思って窮屈になったり、・・・・
そこから脱却するにはどう考えるか、と。
ここが「教育革命」の第一歩だと思います。
ちまたで言われるような「教育界を変える!」というものの、ほとんどは、この話とは無関係だから惜しい。
教育革命とは、職員室の人間関係の革命、ということを抜きにしてはすべて机上の空論化してしまします。「世の中のすべての問題は結局は人間関係の問題に起因する」のです。
このことを、「ヒト間課題起因説」といいます。
不思議ですよね。ただの電子機器の活用方法に問題がある、と人は認識しているのに、
その根本をしらべていくと、人間関係に起因していく、となっていく。
社会問題ならわかりやすいですが、電子機器の利用ですよ。こんなものまで、すべてヒト間に起因するなんて・・・。
コロナもつまるところ、この「ヒト間課題起因」かもしれませんぜ。
