国語の説明文の学習。
原因と結果とを結び付けて書く課題がある。
たとえば、「前日に雨が降ったので、野球の試合が中止になった」という風な。

5年生ともなると、説明文がだんだんと難しくなってくる。
つまり、筆者が具体例を挙げて説明し、結論を述べるくだりを、『なぜその結論が導かれたのか』と、ていねいに理解できるようになることが求められる。
その「説明文」を論理的に読めるようになるために、5年生のこの時期に、「原因と結果」をむすびつけて説明できるかを確認しよう、というのである。

そこで、いくつかの事例を子どもたちにノートに書いてもらい、発表しあった。

すると、

「満員電車に乗ったので、コロナに感染した」

というふうに発表した子がいた。

毎日テレビを見ていたら、否応なく感染症のことが頭に浮かんでくるのだろう。
また、スーパーに入れば店内放送で「新型コロナ、感染症予防のため、店内の従業員が、マスクを着用しております・・・。お客様におかれましても、予防のため、マスクを着用してのご来店を、できるだけお願いしております。」と流れてくる。
コロナ、コロナ、と毎日耳にタコができるほど聞かされ、脳内にインプットを強いられているのだから、どうしたって浮かんでくるのだろう。

さて、この文章を見て、ある子が

「え、でもそれは原因じゃないでしょ」

と言い出した。その子は、

「免疫が下がったのが原因でしょう」

と言う。

それはなぜかというと、直前に、保健室の養護の先生による感染症の授業があったからで、そのときの説明によれば、感染症にかかるのは、体内の免疫機構が十分に働かないからだと。生活習慣の乱れや疲労、ストレスなどの原因で免疫が下がり、そのためにウイルスに対する防御反応がはたらかなくなるからだ、と習った。

「さっき、木下先生が言ってたじゃん」

そうだ、そうだ、という声があがる。

いや、この文章の中でみれば、原因と結果がすっきりと並んでいるのだし、これはこれでいいのでしょう、という子もいる。

しかし、なにか直前の保健の授業との整合性がとれず、なんだかクラス内がもやもやした空気に包まれてしまった。
もっとも「先生!もやもや!」と手を挙げた子は、(ちなみにうちの教室では今、「もやもや!」を叫ぶのが流行中)

免疫が下がる⇒感染しやすくなる

という情報ならまっすぐに自分の頭にささってきた。
ところが、

満員電車に乗ったので、コロナに感染した。
<原因>--------------------------<結果>

という板書が、どうも気に食わない、というのだ。

だって、満員電車にのったからといって全員かかるわけでもなし、乗ったからかかった、というのは、いささか雑すぎるのではないか、というのだ。

「じゃあさ」

その彼は、口をとがらして言う。

「レストランで感染した人がいたらさ、その人はこういってもいいことになっちゃうよ。たとえば、<ラーメンを食べたので、コロナに感染した>って」

えー・・・?!

もやもやした空気が、教室全体をおおっていく。
わたしは狼狽し、国語の授業がこのあとどうなってしまうのか、と案ずるが、仕方がない。
というよりも、私はいつも狼狽し、どうなってしまうのだろう、とハラハラするのが毎日の日常で、本当を言うと、教室にはいてもいなくてもどっちでもいいのかもしれない。ほとんど、わたしが教師を名乗るのは詐欺である。まったく授業をコントロールできていないからだ。ほぼ毎日。

さて、わたしも混乱しはじめた。

<ラーメンを食べたので、コロナに感染した>は、はたして妥当なのか?

<満員電車に乗ったので、コロナに感染した>という文章は、教室内の8割が納得できる、と答えた。一方、<ラーメンを食べたので、コロナに感染した>という文章は、当初、3割しか納得しなかった。

ところが・・・
この後、情勢が変わっていく。
もやもやを叫ぶ彼の運動が徐々に功を奏して、次第にラーメン派が増えだしたのだ。

「だってさ、両方ともたまたま、じゃん。電車に乗ったのも、レストランに入ったのも」
「ああ、そうかー」

たまたま乗った客車内に感染した人がいて、咳をしたかもしれないので、その満員電車に乗って呼吸をしているうちにウイルスを吸い込んで感染した、ということと、
たまたま入ったレストランに感染した人がいて、咳をしたかもしれなくて、そのレストランでラーメンを食べているうちにウイルスを吸い込んで感染した、ということと、
それほどちがいがなかろう、というのだ。

「そうだなあ。ラーメンを食べたのでコロナに感染もあり、だな」

徐々にみんなが納得して、この文章は正しいことになってしまった。わたしだけ、狼狽している。

最後まで発表したい、というので一応班の全員が発表するまで聞いてみると、その後も論理的に破綻したような文例が次々に子どもの手によって黒板に書かれてしまった。

「ダンスをしたので、コロナに感染した」
「猫を飼ったので、コロナに感染した」
「逆立ちをしたので、コロナに感染した」
「おなかがすいたので、コロナに感染した」

さすがに論理の飛躍だろう、と私が介入したら、

「え、だって<満員電車に乗ったので、コロナに感染した>はいいんでしょう」

と逆襲にあう。

ダンスをして息が荒くなって思わずマスクを外したときに感染したとか、
ネコもコロナに感染する、という新聞記事の切り抜きがあったので可能性があるとか、
逆立ちをして床すれすれに顔を近づけたために埃を吸って感染したとか、
おなかがすいたのでふと立ち寄ってコンビニでおにぎりを買って食べたところ、おそらくその前の客がどうも咳をしていたらしく、レジでおつりのやりとりをしたときに感染したのではないかとか、

そういう説明を立て板に水をながすごとくに流ちょうにぺらぺらと。

わかった、と私はついに叫んだ。

「満員電車に乗ったので、コロナに感染した」というのは、論理飛躍ということにします。だからこれは撤回です!

それでもわたしは許してもらえなかった。

どうもおかしいな、と最初に発言した子が言いはじめると、次々にその賛同者が増えていった。

「前日に雨が降ったので、野球の試合が中止になった」はおかしい、というのだ。

前日に雨が降ったからではない。
もっとていねいに言わなければならない。
みんなで順序を確認していくと、

①前日に雨が降り
②その降雨量がある量を越え
③あいにく水はけの悪いグラウンドで
④あちこちに水たまりがのこり、
⑤その水たまりが前夜のうちに地面に吸い込まれないままであり
⑥親たちがこの状態ではユニフォームが汚れるとクレームをつけ
⑦そのクレームを聞いた主催者も「子どもが風邪をひいてはいけない」と心配をし、
⑧中止をして翌週に試合を延期することも可能だという判断があり
⑨遠征にやってくるはずの他県の選手団にも無事に連絡がとれ
⑩他県の選手団が乗るはずのバスの会社もキャンセル料をとることなく延期を受け入れ
⑪翌週のバスの手配も無事に済み、
⑫予約していた弁当の手配もキャンセルができ、
⑬主催者、選手、バス会社、グラウンドの運営会社いずれにも支障がないことが確認され
⑭翌週の天気予報を確認したところおそらくやれそうだ、という判断をしたために

その結果、野球の試合が中止になっただろう。

ということになった。

「だから、雨が降ったから、というのは、かなり雑な言い方です」

これは、わたしの授業の進め方が悪いのだろう。
原因と結果、ということについて、わたしはもう授業をしたくない。

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