社会の授業。
子どもたちの意見が面白すぎて、毎回マスクごしに笑いをこらえている。

1つめは、シーサーの写真。
シーサーの部分だけを隠して表示すると、屋根の上になにかがある、と見える。
発問:ここに何があるでしょうか。
どうしてそう思ったのかも、理由を言ってください。

この理由が大事で、これまでの学習がその子なりに生きていることがわかる。

一人の賢い女子が、

「ハイビスカスの花だと思います」

と言ったのは印象的で、クラスの仲間から多くの拍手をもらっていた。

理由がまた秀逸で、

「沖縄は観光業がさかんです。そのため観光客に喜んでもらうために、南国の風景をみせようとしてハイビスカスの花束か、花壇を屋根の上につくっているのだと思います」

沖縄の産業が観光業を軸に成り立っていることを学習しているから、このような意見が出る。
もちろん、大きく褒める。

他にも色々出たが、台風が多いことから、風量計、雨量計というのも出た。
災害に備えるために、個人の家の屋根の上にもそういう計器類を設置するのだと考えたらしい。
これも理由に納得する、という子が多く出て、拍手をもらう。
同じように、屋根の一部がガラスになっていて透けて天気が見える、とか。
「スコールがくるから、ぱっと天気がわかるように」
だそうだ。
どうだろうか。子どもというのは直前の学習をこんなにも生かそうとするものなのである。われわれ大人も見習うべきだろう。

ところで正解はシーサーだ。
屋根の上に、ちょこん、とかっこよく乗っている。
子どもの中にはそれを知っていて、シーサーだと思います、と言う子もいる。
ところがわたしはもちろんそれを聞き受けいれたあとでも、さらに子どもたちの発言を促す。
正解が出ればおしまい、というのでは、上記のようなハイビスカスやら雨量計やらの珍解答はみんなで共有できないからだ。珍解答であったとしても、「社会的な見地からの情報をできる限り生かそうとして考えて、自分なりの答えを予想してみる」ことの価値は高い。

さて、その後にこのような写真を見せた。

ジュゴン隠れ


ジュゴンだということが分かる子がいる。
「名古屋港水族館におった!」
ちょっと岡崎から離れてはいるが、愛知県民なので、子どもたちもよく知っている。

しかし、3のつぎに描いてある記号が読めない。
「あれ、なんて書いてるあるの?」と質問が出る。

どこの国の切手だと思いますか?
「外国ー!」
みんな、外国だ、という。

ところが、上の部分のマスクを外すと、日本語が描いてある。
「?なんで日本語なのに、円じゃないの?」

わけがわからない。
徐々にマスクをはずす。
すると、左側に、1966 という数字が見える。
西暦だということがわかる。めっちゃ古い!と声が出る(笑)。
たしかに。君たちのお父さんお母さんたちが生まれるよりも、だいぶ昔ですね。

最後に「琉球郵便」という字をみせると、これもまたわけがわからない。
日本郵便、という言葉ならわかるが、これはいったいなんだろう?

ジュゴンそのまま


「実は、今でもジュゴンは沖縄に住んでいるそうです。」

というと、子どもたちはいっせいにおどろく。
ちなみに見せるのは、
今年の沖縄タイムスの記事(4月)だ。

ジュゴンの生息域を地図帳を使ってしらべてみると、基地工事の近くである。
そこから地図上で、基地がどれだけの面積にわたっているか、マーカーで色をつけてみる。
子どもたちはその広さに驚き、1966年の意味をだんだんと知る。
むろん、当時は日本ではなく、琉球政府、の土地であったのだ。

子どもたちの感想をノートで見ると、「知らなかった」のオンパレードである。
やはり、5年生では知らないのだ。アメリカと戦争していたことも知らない子がほとんどだ。
学ばなければ、なにも知らないまま、この子たちは大人になっていく。