A「なあ、きみ。ぼくは気づいたんだ。ツバペッペイさんは本物の悟りの人だと」

B「それはすごい。でも、だれ?その人・・・」

A「とにかく真理を話すんだ。一度講話を聴いたらもう忘れられない」

B「へええ。よかったねえ。面白い話だったんだな」

A「あの目、あの話し方、素晴らしい愛を感じたね」

B「きっと、やさしい人なんだろうねぇ」

A「とにかく、あの人の言うことは絶対の真理だ。人生というものを知っているんだ」

B「ははあ。そんなに感動したの」

A「人生の何たるかをぼくはそこで初めて理解した。真理はシンプルだ」

B「ほー・・・」

ネッシー


A「ぼくもこうやって初めて真理にたどり着いたので、毎日が明るく思えるよ」

B「・・・」

A「あの人の言うことはぜったい正しい!」

B「・・・あそう。しかしまあ、自信がすごい・・・」

A「(かぶせ気味に)いや、あの人こそ、真理にたどり着いて覚醒した方なんだ」

B「あそう。ではあなたも真理にたどり着き、仏陀のように大悟したのか。そりゃおめでとう!さぞ今は心境穏やかなのだろうね」

A「いや、ぼくなんかまだ道半ばだ。永遠に道半ばなのかもしれない」

B「なぜ。・・・あなたも真理を理解したのだろう?」

A「ぼくなどまだ足元にも及ばない。なぜならぼかぁ、間違いの多い人間だからね」

B「えええ?あなたは本物の悟りを得たのだろう?」

A「いや、逆さ。自分は間違いが多い人間だということがわかったのだ。ぼかあ、自分のことをしっかり認めている。間違いの多い人間だということを・・・。そうして反省することができる。これは実は悟りの一部さ」

B「はああ。まあ、自分は正しく判断できる能力があると思い込んで泥沼、ってのは、太平洋戦争をふりかえるまでもなく、よくある話だし・・・人間ってのはそういうものだろうなあ」

A「ところが、ツバペッペイさんはそうでない。あの人は真理をつかんだ人なのだ。あの方の言うことはすべて正しい」

B「・・・あれ、待てよ?・・・しかし、あなたは間違いの多い人間なのだろう?」

A「そうさ。わたしはツバペッペイ氏の足元にも及ばない。間違いを反省するべき人間だ」

B「あなたは間違いが多いのだろう?で、そのあなたが判断したことは・・・」

A「もちろん!大いに間違っているんだ。どうだ。こんなふうに素直に反省するところなんざぁ、ぼくもかなり修行が進んだといっていいだろう」

B「あなたには正確に判断する能力は・・・」

A「もちろん、無い!・・・どう?キミの言いたいことはお見通しだよ。ぼくはそれほど高慢ちきな人間ではない。ぼくにはツバペッペイ氏のような千里眼はとうてい無理なのさ。でもそれを自覚できているところがえらいのだ」

B「なるほど。あなたには、正確に判断する能力もないし、間違いが多いことがわかった」

A「そう。で、世界で唯一の真理の探究者こそツバペッペイ氏だ。キミにも氏の高邁な理論を伝えたいよ」

B「あなたは間違いだらけ」

A「そうぼくは。で、ツバペッペイ氏は最高」

B「ということを言うあなたの話は」

A「そう。間違いだらけ」

B「で、その間違いだらけのあなたの話は間違いだらけ」

A「そう。そしてぼくが確信しているのが、ツバペッペイ氏が正しいということ」

B「その話は、間違い?」

A「そう。ぼくの話はほとんどが間違い」

B「ではツバペッペイ氏は・・・」

A「・・・このぼくが判断したことなので・・・んまー、正しいともいえんな

B「ツバペッペイ氏は正しくないかも、ということでいいのかな」

A「・・・んまー、よかろう」


分かるとは何が分かるということか。

これを小学生のそうだなあ、4年生か5年生くらいで、考えておいた方がいいのかもね。