文科省は基本法や指導要領で、とてもいいことを言っている。
わたしは基本的に、文科省のいうことは常識的で、素晴らしいと考えている。
よく読んでみると当然だが、人権的な配慮にあふれている。
というよりも、人権的にまちがったことを書いてある場所は皆無である。
差別をなくし、人を個として尊重すべき、と書いてある。

道徳の教科化については、賛否の両意見があるが、わたしはこの目標はすばらしいと考える。
「自己の生き方を考え、主体的な判断の下に行動し、自立した人間として他者と共によりよく生きるための基盤となる道徳性を養うことを目標とする。」

しかし、授業自体は旧態依然としており、あの教科書をいくら読んで意見を出し合ったところで、なにか根本がずれているために、子どもたちは意外にも

他者とよりよく生きる

ことが難しいのである。

これは現場の教師としては苦しいところ。
文科省は
「道徳をしっかりやれば、いじめもなくなるし、子どもたちは他者を思う子に育つ」
と思い込んでいる。
ところが実際はそうならないから、困っている。
いじめが出れば、文科省は
「なぜいじめが出るんだ、道徳をしっかりやっているのか!」
と考える。
でも、その道徳をきめられたように教科書をつかってがんばっていても、いじめが起きるからみな苦しんでいる。
決定的なのは、当の教師自身が、「なんでいじめが起きるのかわからない」と思っていることだ。

〇子どもに原因があるとする考え。
〇親に原因があるとする考え。
〇善悪の判断が理解できていないのだ、とする考え。
〇礼儀を教え込んでいないのだ、とする考え。
〇伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度がたりんのだ、とする考え。

どれも違うし、ズレているから、上記のように考えている限り、決していじめの原因がつかめないし、人間とはなにかも理解できないままだ。

善と悪を分けましょう、というのをいくら学んでも、ちっとも学級の雰囲気は良くならない。
この実態をしったら、この現状をみたら、文科省のえらい人も泣くだろうと思う。
そして、なんでだろう、と疑問をもつと思うネ。

礼儀をいくら教え込んでも、不気味なロボット人間が多数出来上がるだけで、ちっとも子どもらしくない集団ができあがる。これも、文科省の役人がみたら、「こんなはずではないのに」と残念がるだろうと思う。

さらには国や郷土の良さを知って自尊心を高めることに重点をおいても、やはり子どもは決定的に変わることがなく、自分勝手で気分屋で、お母さんを困らせる点は変わらないのであります。

わたしには、文科省の担当者の気苦労がしのばれる。
子どもの学級集団は、1年間、ずっと同じように毎日顔を合わせるのである。
その集団が、安心して心地よい空間にならなければ、子どもは決して成長できない。
そのことに重点をおかず、子どもを律するために、とだけ考えて苦悶したのだろう。
最終的に結論がでず、ともかくあらん限りの指導のポイントをかきなぐった学習指導要領になった。

それが、これである。
A 主として自分自身に関すること
○ 善悪の判断,自律,自由と責任(低、中、高)
○ 正直、誠実(低、中、高)
○ 節度、節制(低、中、高)
○ 個性の伸長(低、中、高)
○ 希望と勇気、努力と強い意志(低、中、高)
○ 真理の探究(高)
B 主として人との関わりに関すること
○ 親切、思いやり(低、中、高)
○ 感謝(低、中、高)
○ 礼儀(低、中、高)
○ 友情、信頼(低、中、高)
○ 相互理解、寛容(中、高)
C 主として集団や社会との関わりに関すること
○ 規則の尊重(低、中、高)
○ 公正、公平、社会正義(低、中、高)
○ 勤労、公共の精神(低、中、高)
○ 家族愛、家庭生活の充実(低、中、高)
○ よりよい学校生活、集団生活の充実(低、中、高)
○ 伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度(低、中、高)
○ 国際理解、国際親善(低、中、高)
D 主として生命や自然、崇高なもの
との関わりに関すること
○ 生命の尊さ(低、中、高)
○ 自然愛護(低、中、高)
○ 感動、畏敬の念(低、中、高)
○ よりよく生きる喜び(高)

これをしっかりと指導すれば、いい子になるだろう、という文科省の願いである。
ところがそうならないから、文科省の担当者は、こういう文書を作成した直後から現在まで、常に苦悶しているのだろうと想像する。

安心して暮らせる、子どもが勉強をやる気になれる教室をつくるのは、たった一つ、これを解決すればいいだけである。

「嫌い」をじっくり考え、「好き」になる。

これだけで、友達が好きになり、授業が好きになり、教室の掃除道具が好きになり、友達の発言が好きになり、自分が好きになり、やる気に満ち溢れ、世界が変わり、地球が好きになり、過去も未来も好きになる子になる。

毎日子どもをみていたら、「単純でシンプルなことを自分を材料にとことんしらべていく」やり方のほうがあっている、と思うネ。

道徳の授業は、やらんならん、という要素を増やさない方がイイと思うがナァ・・・。

道徳