うんと小さな子どものころ、等圧線のぐにゃぐにゃした線が面白い、と思っていた。
保育園くらいのころだったろうか。

父が熱心にひろげたりめくったりする、大きな紙があった。
父は毎日のようにそれをバサバサと広げたりたたんだりして、でかい食卓テーブルを占領するのである。そして読みながら、上機嫌で声を出したり、あるいは会話を母と交わしたりする。

わたしも、父のまねをして、その広い紙をしばしば眺めていた。
新聞のむずかしい漢字の羅列は読めない。
だから、「字」以外を探した。

左上の漫画と、あとは気象衛星ひまわりの例の天気図が、まあ『字以外のもの』であった。
そこには毎日のように奇妙なぐにゃぐにゃした線が現れたり、まあるいたくさんの種類の記号に、ヘンな羽のようなものが書かれたりして(今考えると風速の表示だったろう)、なかなかに興味をひくしろものであった。

ある日、それと似たようなぐにゃぐにゃした線がテレビにもしばしば表示されることを知った。
その線の奥には、細長いバナナのような形がある。
「これは日本なのよ」
と母は言い、
「地面がこんな形をしている」
という説明をした。

そして、あら、明日は雨がふるかもね、と驚いて見せた。

その画面をみると、明日が雨なのかどうか、わかるというのである。
わたしは衝撃を受けた。
たしかにテレビには、たくさんの傘マークが表れ、おじさんが
「明日は雨になるでしょう」
とちょっと気の毒そうに言うのだった。

わたしは大人がこうして明日の天気を把握している、という事実にも衝撃を受け、
「なぜ子どもにだまってこんな大事なことを大人たちだけで独占しているのか」
と憤り、叫びたいような衝動にかられた。

しかし、これは姉によると学校へ通えばわたしにも教えてもらえることだったらしい。
人類平等に、誰でもかならず教えてもらえるのだ、と姉からそれを聞いてわたしは安心した。



ところで、その後しばらくたったあと、
母が、
「あら、来週は桜が咲くわ」
と言った。
それも、例の、日本地図を見て・・・。


えっ?
わたしは驚いた。
そんなの、わかるの?

そうなのだ。
なんと、太陽と雨のことだけではなかったのだ。
その地図表示をみていれば、

桜が咲くことがわかる、というのである!


夕方、テレビ画面で天気予報を見た。
母の解説がはじまった。

すると、たしかに日本の南の方から、徐々に、徐々に、桜がやってくることが示唆されている。
気象予報士のおじさんが
「3月25日には、さくら前線が東海地方を通過するでしょう」
と満悦しきった表情をうかべた。

母が
「ほら、ここに線があるでしょう。この線が家まで来ると、桜が咲くのよ」
とこれも自慢げに言った。
わたしは巨大な風のカーテンのようなものが、青い空をひらひらと勇壮に舞う様子や、それが遠くの空にまでつづいていて、サーっと移動していく様を思い浮かべた。

その風のカーテンは、うっすらと桃色をしていて、カーテンが地面をなでるようにそよぐ。すると、そこらにある桜の木が、パっとその瞬間、開花するのである。

おそらく、そのときである。母に

「かいか」

という言葉を習ったのも。

「さくらのかいか」

というワードは、透き通るようなスカイブルーの下地に、淡いピンク色がじわじわーっと沁みてくるようなイメージを浮かばせる。

3月に入った。
あれこれと不安になるニュースばかり流れてくる。
なにか、気の晴れるようなことがないかしら、と朝から考えていたら、幼いときの思い出がよみがえってきた。

こんな日は、空をみあげるに限る。


sakura