職業について考える授業をした。
小学校の高学年では
「・社会生活にはいろいろな役割があることやその大切さが分かる。
・仕事における役割の関連性や変化に気付く。
・将来のことを考える大切さが分かる。
・憧れとする職業を持ち,今,しなければならないことを考える。」

ということを考えるのだ、というふうになっている。(文科省資料)

アンケート用紙を配布。
名前を書く。

1)憧れの職業があるか
ある人は書く。
ない人も、できるだけ近いものを書く。
まったくない人も、身近な人の職業でいいので書く。

2)その職業で収入はあるか。

3)その職業を長く続けられそうか。

4)その職業は人の役に立つものか。

5)その職業をえらんだ理由はなにか。

6)その職業は自分に向いているか。


一つ一つ、書くごとに話し合う。
わたしはファシリテートに徹する。
「どうですか」
「なぜそう思うのですか」
「〇〇さん、△△さんはそういっていますが、その意見や考えをどう思いますか?」
「ここでの一番のポイントはなんだといえそうですか」
「このクラスとしてはそういう意見が多そうですが、そういうことでいいですか?他には?」
「では次に進みます」

4)の質問で、多くの子が
「役に立つのかなあ?」
と疑問をもっていたことに驚いた。
当然、職業というのは提供するものがあり、サービスに結びついているのだろう。
だから、子どもたちも『役に立つ』と考えているだろう、とこちらは思っていた。
しかし、
「サッカーの選手って、役に立つん?」
という声が出て、
「そんなの自己満足だ」
という子もいたのである。
これは意外だった。

「そういう意見・・・どう思いますか?」
とまわりにふってみると、
「・・・だって、お客さんが見に来るんだし、そういう人たちは楽しもうとしてくるのだから、そういう人の役に立っているんだと思う」
「あれ、そうか。ファンの役には立っているか」

これは、『将来なにがしたいの?』という聞き方が多いので、
子どもたちにとっては、職業に就く、ということが、役に立つ、という感じから考え始めていなかったからではないか、と推測される。

また、このアンケートの、最後の質問がもっとも難問で、
6)その職業は自分に向いているか。
というの、6年生の現時点で、このことに対して意見を持てるのだとしたらすごいことである。
自分をある程度、客観視したり、あるいは職業についての予備知識や求められる素質を考えていなければ、なかなかかけない。ほとんどの子が、「考えたことすらない」というだろう。
しかし、もしごく少数の子に、なにかしら『意見のようなもの』だけでも出てきたら、そのことをとりあげてみんなで感想を言い合えばよい。そんなつもりだった。

ところが、「向いているか」について、予想を超えて、子どもたちは意見を出したのである。

「向いているかどうかは、その職業についてみて10年くらいしないとわからない」
「今からそのために勉強するので、勉強すれば向くようになる」
「こんなに好きだし、やってみたい気持ちがあるのだから大丈夫だろう」

ここが一番、さまざまな意見が出て、もりあがった。

最後にもう一度、

1)憧れの職業があるか

の質問にもどった。

すると、

「3つくらい、増やしてもいい?」

という。

「いいですよ」

というと、

「じゃ、おれも増やそうっと」

という子がたくさん。

サッカーの選手、としか書いていなかった子が、

「サッカーの選手のために働く人」

と書いた。

「具体的にどんな人なの?」
と尋ねると、
「えっと、チケット売ったり、選手のカレンダーつくったりする人」
「ああ、チームのための人か。・・・サッカーチームの会社の人とか?」
「そう。あと、グランドで練習するときに手伝う人」
「なるほど」

自分がプレーヤーでなくなっても、よくなった、のである。

彼の思考の中で、どんな変化が起きたのか、詳細は分からない。
しかし、自分でこれらの質問に答え、さらにクラスのみんなで討議していくうちに、
「将来、なにがしたいか」
という感覚的なものだけでなく、
「職業そのもの」の意味について、少し考えが変わっていったのだろうと思う。

わたしもこの授業をしたあとに、「職業ってなんだろうか」。
よくわからなくなった。

soccer_corner_man