長年の問題が解決していない。
本居宣長をどう扱うか、という課題である。

6年生の担任をこれまでも経験してきたが、歴史の授業の中でもっとも難しい一つである。
もっとも難しいのが、昭和初期の戦争に突入する時代。
子どもたちがどうしても納得しないから、「戦争をする理由」で毎回、つまづく。
日清日露戦争からの流れでどうしようもなく、借金を返すために気が狂った、という解釈で、どうにか切り抜けている。

つぎに難しいのが縄文と弥生。
なぜ、豊かで平和だった縄文が、短期間に崩れていったか、が納得できない。
これも新しいデータで、気候の変動でクリなどの植生に大変化が起きたのだろう、という見方で切り抜けている。

そのつぎが、人物・本居宣長、だ。
得体のしれぬ人物である。
土台、国学、というのが難しい。
蘭学、中国大陸からの儒学などと比較しての、「国学」という位置づけなのだろうが、結局、この宣長さん、最後は源氏物語を礼賛して終わる。日本とは何か、と大上段に構えてなにかしらカチッとした体系を工作したのかと思うと、そうではない。だからワケがわからない。

そもそも、古事記のさらに前、奈良朝や大和王権のさらに前、卑弥呼さんのさらに前、そこまでたどらないと、やはり本当の「日本国家のなりたち」は見えてこないはず。
大陸から渡来人によって伝わったとされる、稲作文化。この文化が伝わる前の、1万年続いた縄文を調べ切っていかないと、本当の意味の「国学」は、成就しないと思う。われわれは、なんだかんだといって、まだ縄文の1万年には程遠い時間しか経験していないのである。卑弥呼さんが3世紀。現代人は、たった2000年にも満たぬ歴史しか解明できぬくせに、どちらがどう、などと利いた風な口は利けないのだ。

本居宣長も、古事記伝でなにかが得られた、というわけではなく、結局は「国家のあり方」などを説くかわりに、源氏物語の「めめしさ」をさかんに紹介して、
「やっぱり人間臭いのがイイヨネ」
と開き直ったような晩年を送った。
これが「国学」というたった2文字で、くくれる人物だろうか、と不思議に思う。

こうしてみると、教科書で示すところの
本居宣長→国学の代表
というだけの観方は、かなり偏ったものだと思われる。

こんなことばかり考えているから、ちっとも授業ができぬのだ。ああ。

本居宣長