前回の記事のつづき。
人間にとって、学校というのは何か。
「学校」のあり様は、歴史的にも、ものすごく工夫構築されてきた。
ち密に考えられているし、なにより国が本腰を入れてつくってきた。
国民の人生を、幼少時~少年少女時代~青年期、大人まで、微細に詳細に、考え尽くしたもの。
人材育成、国家繁栄、という目的を果たす巨大な装置、であります。
今でも一部の人が唱えている、税金を使っているのだからみんな行け、という論法は、
その前提が「人間は国のための生き物」という考えなのでしょう。
ところが、本来的には「国」のあり様を0ゼロから考えていけばいい話しなので、
「国は人間のための道具・装置」と考えれば、その税金を使っていかような学校を用意すればよいか、ということになる。
そこを考えようと思うと、多くの人間は、「待てよ」と思って震えることなりますね。
なぜなら、
「人間のための」学校・・・をつくった経験
が、無いからです。
歴史的にはそこが逆転で、「国のための人間をつくる学校」を長年かけ、執念と根性でつくってきたが、「人間のための学校をつくる国」をつくってきた経験はまったくない。
だから、「人間のため」ということになると、はた、と思考停止するわけです。
そんなことはない、という人もいる。
「自分たちは、人間のための学校をつくるために、試行錯誤してきた」
たしかに、私学の一部や、公立であっても「みんなの学校」のように、人間のため、ということを考えて実際の教育を直接的に責任をおいつくってきたところもある。
ところが、どこかぼやけている。
自信が持てない。
やはり、稼げる人にならないと、大人になって就職できない。
という前提を、考え直すまでにはなかなか至らないから、でありましょう。
ゴールは、大人になって稼ぐ、税金を払う、ということ。
そうなるための学校。
じわじわとそこから考えていくと、やはり就職に有利なような教育、経済界の求める人材像、会社に気に入られるように、というゴールになっていくのでは。
ゴールはどこか。
人間としてのゴールはどこか。
そもそも、ゴールをめざす、とはどういうことか。
人間と言うのは、ゴールをめざす生き物、ということでいいのか。
目的、かな。
そこは「分かっているもの」として、みんな話を始めるのが普通。
もしもそこを、丁寧に考えていくとしたら・・・
時間がかかってしょうがないから、
ゴールとか目的とかは、『はしょって』いきましょう!
ということか。

人間にとって、学校というのは何か。
「学校」のあり様は、歴史的にも、ものすごく工夫構築されてきた。
ち密に考えられているし、なにより国が本腰を入れてつくってきた。
国民の人生を、幼少時~少年少女時代~青年期、大人まで、微細に詳細に、考え尽くしたもの。
人材育成、国家繁栄、という目的を果たす巨大な装置、であります。
今でも一部の人が唱えている、税金を使っているのだからみんな行け、という論法は、
その前提が「人間は国のための生き物」という考えなのでしょう。
ところが、本来的には「国」のあり様を0ゼロから考えていけばいい話しなので、
「国は人間のための道具・装置」と考えれば、その税金を使っていかような学校を用意すればよいか、ということになる。
そこを考えようと思うと、多くの人間は、「待てよ」と思って震えることなりますね。
なぜなら、
「人間のための」学校・・・をつくった経験
が、無いからです。
歴史的にはそこが逆転で、「国のための人間をつくる学校」を長年かけ、執念と根性でつくってきたが、「人間のための学校をつくる国」をつくってきた経験はまったくない。
だから、「人間のため」ということになると、はた、と思考停止するわけです。
そんなことはない、という人もいる。
「自分たちは、人間のための学校をつくるために、試行錯誤してきた」
たしかに、私学の一部や、公立であっても「みんなの学校」のように、人間のため、ということを考えて実際の教育を直接的に責任をおいつくってきたところもある。
ところが、どこかぼやけている。
自信が持てない。
やはり、稼げる人にならないと、大人になって就職できない。
という前提を、考え直すまでにはなかなか至らないから、でありましょう。
ゴールは、大人になって稼ぐ、税金を払う、ということ。
そうなるための学校。
じわじわとそこから考えていくと、やはり就職に有利なような教育、経済界の求める人材像、会社に気に入られるように、というゴールになっていくのでは。
ゴールはどこか。
人間としてのゴールはどこか。
そもそも、ゴールをめざす、とはどういうことか。
人間と言うのは、ゴールをめざす生き物、ということでいいのか。
目的、かな。
そこは「分かっているもの」として、みんな話を始めるのが普通。
もしもそこを、丁寧に考えていくとしたら・・・
時間がかかってしょうがないから、
ゴールとか目的とかは、『はしょって』いきましょう!
ということか。
