久しぶりに実家へ帰省。
夕食後、くつろいでいた姉から、イタリアの話を聞いた。
若かりし頃、姉はフランスに住んでいた。
1996年というから、ちょうど、ミッテラン大統領の国葬があった頃ですね。
ともかく、腹が減り、金は無い生活。
真冬でも暖房をつけず、震えながら暮らしていたため、仲間の日本人までが
「この部屋、だいじょうぶなの?」
と驚くほどの困窮ぶりだった。
それでも、「何でも見てやろう」の小田実じゃないが、若い頃というのは意気盛んなもので、なけなしのバイト代をやりくりし、一人でヨーロッパをよく旅した。
イタリアに入り、ちょっとした街を散策していたとき、向うから走ってきた男が、肩から下げていたショルダーバッグの紐を引っ張り、そのまま逃げ去ろうとした。
よくある、ひったくり、である。
ところが、こっちは、このバッグと金を無くしたら、もう二度とフランスにも日本にも帰れない、という悶絶状態の人間だから、おいそれと渡すわけにいかない。
そのまましがみついた。
そのとき、脳裡によぎったのは、
「ひったくられたら、おとなしく渡せ。あきらめない場合、下手をしたら刺されることもある」
という、旅行者が何度も聞かされるアドバイス。
姉は、ぼうっとした頭の中でゆっくりと
「あ、私はここで刺されて死ぬんだ」
と思ったそうだ。
そして、ゆっくりと、ゆっくりと、地面が近づいてきて、倒れ、痛みを感じることなく、そのまま引きずられた。
実際にはそんなことは一瞬だったろう。
あとで、近くで見ていたイタリア人が、
「あなたは派手に転んだから、頭を打ったんじゃないか」
と心配したほどで、なぜ時間をゆっくりに感じたかと言うと、それは脳の処理速度が一時的に高速化したのであって、いわゆる死ぬ直前の『走馬燈状態』だったようだ。
その、脳が高速化した状態で、姉はわりと冷静になって
「わたしを刺すのはどんな男なんだろうなあ」
と思って、ショルダーバッグを引っ張られ、地面に倒されながらも、男の顔を見たらしい。身の倒れる角度がちょうど、犯人の顔を見られる向きだったのかもしれない。
「よく、そんな余裕があったねえ」
と感心して聞くと、
「なんだかとてもゆっくり時間が流れていたので、男の顔を見る余裕もあったんだよねえ」
と言った。
で、その男の顔を見て、姉はとても意外に思ったという。
その男は、泣きそうな顔をしていた、というのだ。
姉としては映画に出てくるように、ふてぶてしい悪党面(づら)で、人を恫喝するような悪い人相を思い描いていたのに、実際はちがう。
男は、甲高い声を出して何度もバッグの紐を引っ張り、姉が倒されてもまだ離さぬため、本当にくしゃくしゃの顔のままで、イタリア語で何か言いつつ、ぐん、ぐん、とくりかえし、引っ張ったそうだ。
姉が
「この人は何が悲しいのだろうか?」
と、とても純粋になって考えていると(といってもほんの0コンマ何秒の間に)
彼は、まるで子どものような泣き顔になり、あきらめて手を離すと、走り去ったそうだ。
「今でもあのイケメンの顔を、ときどき思い出すわ」
上の姉が
「よく刺されなかったねえ」
と感心すると、
「倒れて引きずられたんだけど、あの頃はフランスの食事にはまっていて、今よりかなり体重があったからねえ。あの男も、わたしを何メートルか引きずってるうちに息が切れて、体力が残ってなかったんじゃないかねえ」
と、呑気な顔で語るのであった。
今ならぜったいに手を離す、とのこと。
金よりも、命、である。
さて、わたしはこの話を聞いて、人に対して強圧的な態度に出る場合や、上から命令的、圧迫的な態度に出る場合というのは、それを心から当然のように思っているのだろうと思っていたが、もしかしたら違うのかもなあ、という気がしてきた。
ヒトラーのように、あるいはインパール作戦の牟田口(むたぐち)将校のように、強圧的に人に接してきている人の精神構造として、
「他の人間は自分にひれ伏すべき」
と心の底から感じているから、そういうことができるのだろう、と思っていた。
ところが、そのひったくり男は、悲しいような、泣きそうな顔をしていた、というのである。
人が、泣き顔になるとか、突然に激しい感情をあらわにする、というのは、その元に、背景に、なにかしらトラウマがあるものだ。イタリアのひったくり男は、どういう過去をもっていたのだろうか。まだ若かったというから、学校教育を受ける途中でトラウマを持つようなことがあったのか、それとも彼を育てた親との間になにかあったのか。いずれにしても、泣きながらひったくる、というのは、いかにもバランス感覚のない、幼いような感じがする。
人に対して強く出る、という行動の裏側に、なにがあるのか。
世間では、今、韓国海軍の駆逐艦が海上自衛隊のP1哨戒機に火器管制レーダーを照射したということが、話題になっている。韓国と日本の両国ともに、「相手に対して強圧的な態度に出よう」という行動が見える。
お互いが、お互いの国に対して、トラウマを持っている。あるいは、中国やアメリカに対して・・・。
必要もないのに相手に対してとんでもなく卑屈になったり、こちらの言い分だけを押し通そうとしたりすることがありはしないか。
極端な卑屈か、極端なわがまま、という具合にしか表現できないのは、不器用を通り越し、バランスを欠いた「幼い」ことのように思える。
結局、自分の抱えているトラウマを、双方が自覚することからでしか、いい解決は見つからないだろう。
夕食後、くつろいでいた姉から、イタリアの話を聞いた。
若かりし頃、姉はフランスに住んでいた。
1996年というから、ちょうど、ミッテラン大統領の国葬があった頃ですね。
ともかく、腹が減り、金は無い生活。
真冬でも暖房をつけず、震えながら暮らしていたため、仲間の日本人までが
「この部屋、だいじょうぶなの?」
と驚くほどの困窮ぶりだった。
それでも、「何でも見てやろう」の小田実じゃないが、若い頃というのは意気盛んなもので、なけなしのバイト代をやりくりし、一人でヨーロッパをよく旅した。
イタリアに入り、ちょっとした街を散策していたとき、向うから走ってきた男が、肩から下げていたショルダーバッグの紐を引っ張り、そのまま逃げ去ろうとした。
よくある、ひったくり、である。
ところが、こっちは、このバッグと金を無くしたら、もう二度とフランスにも日本にも帰れない、という悶絶状態の人間だから、おいそれと渡すわけにいかない。
そのまましがみついた。
そのとき、脳裡によぎったのは、
「ひったくられたら、おとなしく渡せ。あきらめない場合、下手をしたら刺されることもある」
という、旅行者が何度も聞かされるアドバイス。
姉は、ぼうっとした頭の中でゆっくりと
「あ、私はここで刺されて死ぬんだ」
と思ったそうだ。
そして、ゆっくりと、ゆっくりと、地面が近づいてきて、倒れ、痛みを感じることなく、そのまま引きずられた。
実際にはそんなことは一瞬だったろう。
あとで、近くで見ていたイタリア人が、
「あなたは派手に転んだから、頭を打ったんじゃないか」
と心配したほどで、なぜ時間をゆっくりに感じたかと言うと、それは脳の処理速度が一時的に高速化したのであって、いわゆる死ぬ直前の『走馬燈状態』だったようだ。
その、脳が高速化した状態で、姉はわりと冷静になって
「わたしを刺すのはどんな男なんだろうなあ」
と思って、ショルダーバッグを引っ張られ、地面に倒されながらも、男の顔を見たらしい。身の倒れる角度がちょうど、犯人の顔を見られる向きだったのかもしれない。
「よく、そんな余裕があったねえ」
と感心して聞くと、
「なんだかとてもゆっくり時間が流れていたので、男の顔を見る余裕もあったんだよねえ」
と言った。
で、その男の顔を見て、姉はとても意外に思ったという。
その男は、泣きそうな顔をしていた、というのだ。
姉としては映画に出てくるように、ふてぶてしい悪党面(づら)で、人を恫喝するような悪い人相を思い描いていたのに、実際はちがう。
男は、甲高い声を出して何度もバッグの紐を引っ張り、姉が倒されてもまだ離さぬため、本当にくしゃくしゃの顔のままで、イタリア語で何か言いつつ、ぐん、ぐん、とくりかえし、引っ張ったそうだ。
姉が
「この人は何が悲しいのだろうか?」
と、とても純粋になって考えていると(といってもほんの0コンマ何秒の間に)
彼は、まるで子どものような泣き顔になり、あきらめて手を離すと、走り去ったそうだ。
「今でもあのイケメンの顔を、ときどき思い出すわ」
上の姉が
「よく刺されなかったねえ」
と感心すると、
「倒れて引きずられたんだけど、あの頃はフランスの食事にはまっていて、今よりかなり体重があったからねえ。あの男も、わたしを何メートルか引きずってるうちに息が切れて、体力が残ってなかったんじゃないかねえ」
と、呑気な顔で語るのであった。
今ならぜったいに手を離す、とのこと。
金よりも、命、である。
さて、わたしはこの話を聞いて、人に対して強圧的な態度に出る場合や、上から命令的、圧迫的な態度に出る場合というのは、それを心から当然のように思っているのだろうと思っていたが、もしかしたら違うのかもなあ、という気がしてきた。
ヒトラーのように、あるいはインパール作戦の牟田口(むたぐち)将校のように、強圧的に人に接してきている人の精神構造として、
「他の人間は自分にひれ伏すべき」
と心の底から感じているから、そういうことができるのだろう、と思っていた。
ところが、そのひったくり男は、悲しいような、泣きそうな顔をしていた、というのである。
人が、泣き顔になるとか、突然に激しい感情をあらわにする、というのは、その元に、背景に、なにかしらトラウマがあるものだ。イタリアのひったくり男は、どういう過去をもっていたのだろうか。まだ若かったというから、学校教育を受ける途中でトラウマを持つようなことがあったのか、それとも彼を育てた親との間になにかあったのか。いずれにしても、泣きながらひったくる、というのは、いかにもバランス感覚のない、幼いような感じがする。
人に対して強く出る、という行動の裏側に、なにがあるのか。
世間では、今、韓国海軍の駆逐艦が海上自衛隊のP1哨戒機に火器管制レーダーを照射したということが、話題になっている。韓国と日本の両国ともに、「相手に対して強圧的な態度に出よう」という行動が見える。
お互いが、お互いの国に対して、トラウマを持っている。あるいは、中国やアメリカに対して・・・。
必要もないのに相手に対してとんでもなく卑屈になったり、こちらの言い分だけを押し通そうとしたりすることがありはしないか。
極端な卑屈か、極端なわがまま、という具合にしか表現できないのは、不器用を通り越し、バランスを欠いた「幼い」ことのように思える。
結局、自分の抱えているトラウマを、双方が自覚することからでしか、いい解決は見つからないだろう。
引き込まれていくわ
あらまそうかい
がしました