人間の生活にとって、食生活が重要であることは言うまでもない。
また、食事は生理的条件(生命保持や成長)だけを満たせば済むものでは決してなく、美味しさ、楽しさ、満足を求める行動でもある。そして、食事の楽しさ・魅力・満足が人間生活の豊かさにとって基本的な条件の一つとなっているともいえる。
食生活を満喫謳歌する、というのはどういうことだろうか。
わたしたちは時折、「安全かどうか」とか、「栄養があるものかどうか」ということを考えすぎることがある。そのため、食事そのものを心から味わうことができない。
「安全面」と「栄養面」が自分の頭で判断した基準に達しているから、ようやくほっと安心し胸を撫で下ろして食事をいただく、というだけだと、何か心寂しい。
食事を心で味わう、心底美味しくいただく。そのためには、何をどう食べていくのか、食卓の上だけの話ではなく、食べ物を通してつながる社会の背景全体をも視野に入れた考え方が必要になってくるように思われる。
「食べごと」という言葉がある。
いわゆる食卓の上の物をたべる、食事風景のことだけをさすのでなく、食材を畑に収穫しにいくところから、それを運ぶこと、洗ったり皮をむいたり等調理すること、食器の用意、食べること、そしてその後の片付けや家族の団欒までをすべて含んだ意味をもっている。最近では、畑に収穫しに出かける、といったことは少なくなっても、食品の購入を前提にしながら店に出かけて行き、あれこれ物色しながら食物を手に入れ、家に持ち帰るという主婦の日常生活が「食べごと」だといえるかもしれない。
都市化と職業の専門化が進むにつれて、これらのプロセスが分断され、今日では都市の消費者はこれらの生産にかかわる社会的意味をすっかり失ってしまった。都市では食物がますます商品化され、すべて店で買って食べるようになった。その食物が存在した自然環境や季節、これを手に入れる時の細やかな知識や感性というものはもはや縁のないものとなっている。食事を、体内にエネルギーを取り込むための入力(インプット)方法だとわりきって、効率だけを考えた食生活をおくる人もいるようだ。「食べるだけ時間の無駄」と思っている、という話もある。「食べる=消費する」という考え方が、こういう考えへと発展していくのだろうか。
「食べごと」という観念は、「=(イコール)消費する」とはならない。それは人間の暮らしをつくる重要な要素の一つであり、人間生活そのものである。人と人とが共につくりあげていくもの。社会を支える根底である。
「消費」ではなく、「食べごと」、あるいは「食べごと」を通しての社会参加。人生を満喫謳歌するための大きな分かれ目が、ここにある。
また、食事は生理的条件(生命保持や成長)だけを満たせば済むものでは決してなく、美味しさ、楽しさ、満足を求める行動でもある。そして、食事の楽しさ・魅力・満足が人間生活の豊かさにとって基本的な条件の一つとなっているともいえる。
食生活を満喫謳歌する、というのはどういうことだろうか。
わたしたちは時折、「安全かどうか」とか、「栄養があるものかどうか」ということを考えすぎることがある。そのため、食事そのものを心から味わうことができない。
「安全面」と「栄養面」が自分の頭で判断した基準に達しているから、ようやくほっと安心し胸を撫で下ろして食事をいただく、というだけだと、何か心寂しい。
食事を心で味わう、心底美味しくいただく。そのためには、何をどう食べていくのか、食卓の上だけの話ではなく、食べ物を通してつながる社会の背景全体をも視野に入れた考え方が必要になってくるように思われる。
「食べごと」という言葉がある。
いわゆる食卓の上の物をたべる、食事風景のことだけをさすのでなく、食材を畑に収穫しにいくところから、それを運ぶこと、洗ったり皮をむいたり等調理すること、食器の用意、食べること、そしてその後の片付けや家族の団欒までをすべて含んだ意味をもっている。最近では、畑に収穫しに出かける、といったことは少なくなっても、食品の購入を前提にしながら店に出かけて行き、あれこれ物色しながら食物を手に入れ、家に持ち帰るという主婦の日常生活が「食べごと」だといえるかもしれない。
都市化と職業の専門化が進むにつれて、これらのプロセスが分断され、今日では都市の消費者はこれらの生産にかかわる社会的意味をすっかり失ってしまった。都市では食物がますます商品化され、すべて店で買って食べるようになった。その食物が存在した自然環境や季節、これを手に入れる時の細やかな知識や感性というものはもはや縁のないものとなっている。食事を、体内にエネルギーを取り込むための入力(インプット)方法だとわりきって、効率だけを考えた食生活をおくる人もいるようだ。「食べるだけ時間の無駄」と思っている、という話もある。「食べる=消費する」という考え方が、こういう考えへと発展していくのだろうか。
「食べごと」という観念は、「=(イコール)消費する」とはならない。それは人間の暮らしをつくる重要な要素の一つであり、人間生活そのものである。人と人とが共につくりあげていくもの。社会を支える根底である。
「消費」ではなく、「食べごと」、あるいは「食べごと」を通しての社会参加。人生を満喫謳歌するための大きな分かれ目が、ここにある。