通知表で、道徳を評価する、というので、現場が混乱している、というのが世間の見方らしい。
新聞や、ネットのニュースでも
「通知表!道徳を初の評価!現場は混乱!」
という記事をどっかで見た。
ところが、現場はまったく混乱してないですぜ。
だって、数値化はしない、という指示ですもの。
「〇〇は△△だろうか、という問いを、クラスのみんなで話し合いました。よく考えて意見を出していた。どちらの立場にも身をおいて、真剣に考え、意見を変えることも躊躇せず、正しさを決めつけないで、答えを固定しないで考えようとしていた」
よく考えられたこと、正解がないと思われる問いに、より人間らしく、より科学的に向き合おうとしていたこと。
そこを
「一生懸命に考えたね!」
ということだから、まったく難しいことではない。
なぜ、マスコミが「学校現場はいつも混乱している」というイメージを、世間に売り込んでいきたいのか、その背景やねらいがさっぱり、分からない。
学校で「どの子の意見も真剣に聞いて、自分でももう一度問い直し、なにが正しいとも決めつけないで、あくまでもどこまでも自由に考え続ける」という態度を身につける。そういう素養を身につけた国民に育っていく。
10年もすると、国会が変わるよ。
・・・有権者が育つから。

新聞や、ネットのニュースでも
「通知表!道徳を初の評価!現場は混乱!」
という記事をどっかで見た。
ところが、現場はまったく混乱してないですぜ。
だって、数値化はしない、という指示ですもの。
「〇〇は△△だろうか、という問いを、クラスのみんなで話し合いました。よく考えて意見を出していた。どちらの立場にも身をおいて、真剣に考え、意見を変えることも躊躇せず、正しさを決めつけないで、答えを固定しないで考えようとしていた」
よく考えられたこと、正解がないと思われる問いに、より人間らしく、より科学的に向き合おうとしていたこと。
そこを
「一生懸命に考えたね!」
ということだから、まったく難しいことではない。
なぜ、マスコミが「学校現場はいつも混乱している」というイメージを、世間に売り込んでいきたいのか、その背景やねらいがさっぱり、分からない。
学校で「どの子の意見も真剣に聞いて、自分でももう一度問い直し、なにが正しいとも決めつけないで、あくまでもどこまでも自由に考え続ける」という態度を身につける。そういう素養を身につけた国民に育っていく。
10年もすると、国会が変わるよ。
・・・有権者が育つから。
