射幸心(しゃこうしん)と賭博行為は密接な関係にあり、日本においてつい先日まで、賭博行為が規制されてきた根拠は「国民の射幸心をあおるのは勤労によって財産を得ようとするという健全な経済的風俗を害する」という理由による。

ところがこれが改正されたため、日本は国をあげて、射幸心に白旗を上げた、というか、射幸心を利用して金儲けをしよう、ということにしたらしい。

しかし、その射幸心ゆえに、自国の国民が不幸になってしまっては元も子もないため、おそらく今後、小学校、中学校を中心に、「射幸心」を克服するための指導が行われて行くのではないか、と予想される。

文科省も、時代がここまで進んでしまった以上、射幸心を制御するための教育プログラムを早急にくみたてていく必要にせまられている。

まずは東京大学をはじめ、国の先進的な研究機関が、「射幸心理学科」を創設する。
つぎに、高校、専門学校、中学校で「射幸教育」を行うべきであり、小学校では道徳の時間に「射幸心依存(SHA-KO addiction)について、学ぶべきだろう。

アディクションとは簡単に言うと、耽溺する、癖になる、というような意味である。
心理的には、強い依存、ということになる。

抜けたくても抜けられない、やめたくてもやめられない、頭の中が、始終そのことでいっぱいになる。ふと気が付くと、博打について考えている、という調子。ふりはらっても、ふりほどいても、博打の思いが、頭から離れていかない、まるで身体がそれを欲するように、依存してしまうのである。

射幸心を強くさせる心理はかなり解明されてきており、一つの指標はそれがランダムである、ということらしい。
スロットに夢中にさせようとして、被試験者がスロットを試みるとすべて当たるように仕向けておくと、「当たりばっかり」がでる。すると、調子に乗ってスロットに耽溺するようになるかというとそうではなく、むしろすぐに飽きてしまうそうだ。
かといって、ずっと外れていてもダメで、やはり「これ当たらねー」と言ってやめてしまう。
一番、スロットに夢中になるのは、(理由がはっきりしないが)当たる、当たらない、ということが偶然にもたらされる、という要素らしい。

人間は、どうやら偶然にそうなる、ということについてドキドキはらはらするらしく、そのことが脳をかなり刺激するようだ。だから、カジノの商売元は、客には「ごくまれに、最小限度に勝たせる」のである。

こういうことを、小学生のころから、学ばせるべきであり、そうでないとカジノで人生を狂わす子どもが出てきかねない。

少なくとも、「射幸心」とはなにか、どのようにしむけていけば「射幸心」に人が依存するようになるのか、小学生でも学べるようにしていかないと、手遅れになる。
同様に、アルコール依存、薬物依存、ネット嗜癖、スマホ依存、それらがどのような心理からもたらされてくるものか、人間の心の解明を、小学生の道徳ではじめたほうがいいと思う。

『射幸嗜癖』は、不安と関わっている。必要なのは、人間心理の『不安』というものについて理解することだ。「安心」というものがわかってはじめて、「不安」が解消する。不安は、安心のうらがえしではない、という点を、子ども時代にきちんと学んでおきたい。

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