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給食が食べられる、ということを、子どもと考えてる。

今日はまだ、

「給食って、みんなどんなふうに感じているの」

というところだけ。

「おいしい」
「いいな、と思う」
「つくってくれている」
「いつも焼き肉があればいいのに」
「いつもプリンが出てほしい」
「でも、まあまあみんな美味しいから好き」
「もっとこうしてほしい、とかもあるけど、ふつうにおいしいからいい」
「全校分になるとすごいたくさんだと思うけど、みんな毎日つくってくれてる」


ああだ、こうだ、とみんなで出し合う。

わたしはほとんど、聞いている。

ジュースが出ればいいのに。
お菓子が出ればいいのに。
ステーキが毎日出てほしい。
アイスクリームが出ればいいのに。

そういうのに、一つひとつみんなで、ワハハ、と笑う。

でも、しばらく出し合っているとそういうのがやんで、

うーん、毎日、毎日、出てくるねえ、と。

一度も、休んでいないよねえ。毎日だもんねえ。

「お母さんといっしょだ。毎日、作ってくれてるもん」

本当、そうね。

なんで、こうやって毎日、みんな給食を食べられるんだろうか?




「うーん」
「なんでって・・・」
「ぼくが食べたい、と思っているから・・・」
「食べたいと思っているから出るの?」
「作ってくれるからだよ」
「お金を払っているから」



「ああ、そうだ。そういえば、お母さんも毎日、つくってくれるよ。それと同じ」


「ぼく、たまに手伝うよ」
「わたしも」


「おれ、たまにチャーハンつくるよ」
「チャーハンのもとがあるから、それでさっさと。かんたんだよ。コツはねえ。うーん、卵かなあ。けっこう卵を多めにして」
「わたしはこの前、カレーつくったよ」
「私も!カレー、かんたんだよ!じゃがいもの芽だけ、お姉ちゃんがやったけど」



こんな感じで、あれこれと出し合うだけで、なんだか幸せになる。

「ねえ、先生。これって、なんの授業なの?学活?総合?道徳?」

なんで、給食、食べられるんだろうねえ。

わたしは授業の終わりの時間に、再度、聞く。

また、みんなで考え込む。

「お金を払ってるんでしょう?親が」
「作ってくれているから」
「腹が減ったから」
「なんだかしらないけど、食べていいよ、ということになってるから」

ふーん。

ノートに、今日、考えたことをみんなで書くが、思いのほか、時間がかかる。

なにか、いろいろと頭を使った後は、それを書きだしたくなるものだ。




「またこの授業する?」

うん。

「こたえが出てないけど、いいの?」

どうかな。

「国語といっしょ。こたえはないんじゃないの?」
「決めなくてもいいんだよ。こたえは。ひとつじゃないから」

そうか。じゃ、そういうことで。

みんなの意見は、学級通信に載せて、またみんな各々が、考えることになります。

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