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めったに教員仲間で飲み会などしません。
そもそも、飲みに行く時間が無い。
夜、9時10時から行ける店も近所には、無いし。(田舎のため)

ところがこの年齢にもなると、なんだか行く機会も出てくるものだ。

新卒の先生を囲んで、励ます会が行われました。
ベテラン2人と私、そして若手1人の4人。

そこで出た話題。
「子どもが荒れていても、先生が鈍感なら何とかなる」
というやつ。


これ、前からなんとなく、うすうす思っていたことだったけれど、
目の前の方がひと言、そんなようなことをつぶやいたから、

「あああ!!それ、思ったことある!」

と改めて、考え直す機会になった。



子どもと言うのは面白いもの。
先生が倒れないで踏ん張っていると、子どもはどこかで先生を頼りにする(一目置く)もののようです。

先生がクラスのことをあきらめてしまったり、
良くない(悪い)学級だと決定したり、
クラスに行きたくない、と思ってしまったりすれば、その直後に、
「先生はそう思うんか。そんだったら、俺たちも!」と信頼関係の紐を切ってしまいます。

ところが、先生がそう思わずに、
ひるむことなく学校へ来て、授業をして、いっしょに給食を食べて、
共に掃除をして、帰りまでとことんつきあう構えでいると、
「うむ。おぬし、なかなかやるな」と思うらしい。
迷惑をかけ、牛乳瓶を割り、ガラスを割り、トイレを壊し、やんちゃの限りを尽くしても、どこかで
「あの人は俺の先生や」と思うものだそうで。

そういう意味で、先生として必要なスキルの内の一つが、

鈍感さ、

なのかもしれない・・・。


いや、
もしかすると、これは、
先生と子ども、というだけでなく、
夫婦でも、兄弟でも、親子でも、いろんな人間関係に言えることかもな、とも思うね。


あんなやつ、もう、イヤッ!!

と思うところまでいきそうで行かない。

どこか鈍感で、どこかにぶくて、
どこか焦点が合わず、底が見えそうで見えない感じで、
相手のことが、よく、分からない感がただよってること。

お互いに、底が見えそうで見えない、ということ。

決定的な断絶、断崖、亀裂をつくらずに済む秘訣?



人間の底なんてものは、決して見ることのできないもの、と了解した先生。

智くなく、愚鈍で、鈍麻で、するどさのない、先生。

・・・であれば、教師と生徒というのはお互いに ❝ふんわか❞ するんじゃないか。

syabondama