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キャリア教育の授業の後半、わたしとしてはめまいのするようなことがあったので、ご報告。
Nくんは、一風変わったところのある男の子。
ゲッツ!という、一昔前に流行したギャグが気に入って、今さかんに使っています。
そのNくんが教室の前に出て来て、
「えー、ぼくは何も将来のことが決まっていないので、みんなで考えてほしいです」
といささか投げやりな感じのスタートでした。
「なんにも考えてない・・・」という子は数人いたのですが、Nくんはまったく考えるそぶりもみせず、非常にお気楽な雰囲気です。
他の子は、とりあえずユーチューバーだとか、とりあえず庭師だとか、とりあえず警察官、というように、自分としての第一希望を語るのですが、Nくんは焦るでもなく、困るでもなく、ともかく指名されて、
「なにも考えていないので」
と言い切るのでした。
学級のみんなはそんなこと予想できていたらしく、わたしが
「そんな!Nくん、ずっと前から将来のことを考えるように言ってたでしょう」
と指摘するのをさえぎって、
「うーんとネ・・・Nくんはね・・・」
と考え始めます。
そこで、ゲッツをやるからお笑い芸人、とか、
おうちが農家だから農家、だとか、
なんとなく研究熱心な感じもするから、なにかのハカセ、とか
いろいろと出てきました。
たしかにNくんは理科が好きで、試験管やフラスコを使った実験になると、とてもはりきるのです。級友はふだんから、そういう姿を見ているから、あれこれと言ってくれるわけです。
一通り、あれこれと意見が出た後、一人の女の子が、
「あ、そういえば、Nくんはいつも声がでかいし、運動会のときにすっごく大きな声で応援してたから、応援する人になれば」
と言ったのです。
それを聞いた仲良しの子が響いて、
「そうそう!わたし、みっちゃんと一緒にNくんすごいねー!とか言って、笑ってたよねえ」
「そうそう!Nくんだけ、めっちゃでかい声出してたから!!・・・思い出してきたよ!あんときすごかったよね!ギャハハ!」
Nくんは今年、クラスの中で選ばれて、運動会の応援団に所属していたのでした。
その応援団のときの情熱のこめ方がすばらしくて、印象に残っていたのでしょう。
結論として、Nくんについてみんなのおすすめの仕事は、
「大声でだれかを応援する仕事」
ということになりました。
わたしは、
「えー・・・ッ、それで、お金がもうかるのかなあ・・」
とぶつぶつ言いましたが、だれも聞いちゃいません。
「先生、いいじゃん。きっとだれか、応援してほしいときに、近くで応援してほしいからお金を出そう、という人もいるかもしれないよ」
「そうそう」
わたしはよほど、
「ふざけないで聴きなさい。いいですか、そんな仕事は世の中にありません。金を稼げるわけがない!もっとまじめになりなさい!」
と、のど元まで出かけましたが、やめました。
子どもたちのコミュニティの範囲では、Nくんが大声でだれかを励ましてくれているのがちょうど良いのです。それが、彼をいちばん生かし得る道だ、と思うらしいのです。
Nくんもまんざらでないようで、
「じゃあ、応援する仕事にしようかな」
と、うれしそうにしています。
わたしは慌てて本棚を探して『13歳のハローワーク』を右手に高くあげ、
「そんな仕事、これには載ってないけど!」
と反論しようとしましたが、やめました。
果たして、仕事というのは、何なのでしょうか。
人間らしさというのは、何なのでしょうか。
4年生では、『職業以前の話』をしているのですね。
あなたがこれをやってくれたら、みんながうれしい。この中のだれも、あなたのようなマネはできない。あなたが一番、それをやるのに向いているのだ。ぜひやってほしい。
わかった!まかせとけ!
縄文時代だったら、こういうやり取りでもって、仕事というのは成り立ったでしょうね。
で、仕事というものに、やりがい、というものが、直接的に結びついていたのでしょう。また、嫌々仕事をする、ということにもならないでしょうネ。目覚ましが鳴ると、胃がキリキリと痛むので、胃薬を飲んで出勤、ということもなさそうです。
その証拠に、学級のみんな全員、機嫌が良いのです。
Nくんもうれしそうだし、まわりの、いっしょに考えてあげたメンバー全員(クラス全員)が、なんとなく楽しいし、嬉しいのです。
キャリア教育をやればやるほど、将来が楽しみになるし、クラスの人間関係も良くなるし、人生がばら色にかがやいて見えるようになるのです。
そのかわり、保護者受けはよくないですね。残念ですが。
隣のクラスの子も作文を書いていたのですが、それは
「警視庁に勤めるために、国家公務員採用試験を受けます。そのために大学は〇〇大学を出て・・・」
というものでした。それと比べてうちときたら・・・存在しない、架空の話しかしてないんだから・・・、まったく。
キャリア教育の授業の後半、わたしとしてはめまいのするようなことがあったので、ご報告。
Nくんは、一風変わったところのある男の子。
ゲッツ!という、一昔前に流行したギャグが気に入って、今さかんに使っています。
そのNくんが教室の前に出て来て、
「えー、ぼくは何も将来のことが決まっていないので、みんなで考えてほしいです」
といささか投げやりな感じのスタートでした。
「なんにも考えてない・・・」という子は数人いたのですが、Nくんはまったく考えるそぶりもみせず、非常にお気楽な雰囲気です。
他の子は、とりあえずユーチューバーだとか、とりあえず庭師だとか、とりあえず警察官、というように、自分としての第一希望を語るのですが、Nくんは焦るでもなく、困るでもなく、ともかく指名されて、
「なにも考えていないので」
と言い切るのでした。
学級のみんなはそんなこと予想できていたらしく、わたしが
「そんな!Nくん、ずっと前から将来のことを考えるように言ってたでしょう」
と指摘するのをさえぎって、
「うーんとネ・・・Nくんはね・・・」
と考え始めます。
そこで、ゲッツをやるからお笑い芸人、とか、
おうちが農家だから農家、だとか、
なんとなく研究熱心な感じもするから、なにかのハカセ、とか
いろいろと出てきました。
たしかにNくんは理科が好きで、試験管やフラスコを使った実験になると、とてもはりきるのです。級友はふだんから、そういう姿を見ているから、あれこれと言ってくれるわけです。
一通り、あれこれと意見が出た後、一人の女の子が、
「あ、そういえば、Nくんはいつも声がでかいし、運動会のときにすっごく大きな声で応援してたから、応援する人になれば」
と言ったのです。
それを聞いた仲良しの子が響いて、
「そうそう!わたし、みっちゃんと一緒にNくんすごいねー!とか言って、笑ってたよねえ」
「そうそう!Nくんだけ、めっちゃでかい声出してたから!!・・・思い出してきたよ!あんときすごかったよね!ギャハハ!」
Nくんは今年、クラスの中で選ばれて、運動会の応援団に所属していたのでした。
その応援団のときの情熱のこめ方がすばらしくて、印象に残っていたのでしょう。
結論として、Nくんについてみんなのおすすめの仕事は、
「大声でだれかを応援する仕事」
ということになりました。
わたしは、
「えー・・・ッ、それで、お金がもうかるのかなあ・・」
とぶつぶつ言いましたが、だれも聞いちゃいません。
「先生、いいじゃん。きっとだれか、応援してほしいときに、近くで応援してほしいからお金を出そう、という人もいるかもしれないよ」
「そうそう」
わたしはよほど、
「ふざけないで聴きなさい。いいですか、そんな仕事は世の中にありません。金を稼げるわけがない!もっとまじめになりなさい!」
と、のど元まで出かけましたが、やめました。
子どもたちのコミュニティの範囲では、Nくんが大声でだれかを励ましてくれているのがちょうど良いのです。それが、彼をいちばん生かし得る道だ、と思うらしいのです。
Nくんもまんざらでないようで、
「じゃあ、応援する仕事にしようかな」
と、うれしそうにしています。
わたしは慌てて本棚を探して『13歳のハローワーク』を右手に高くあげ、
「そんな仕事、これには載ってないけど!」
と反論しようとしましたが、やめました。
果たして、仕事というのは、何なのでしょうか。
人間らしさというのは、何なのでしょうか。
4年生では、『職業以前の話』をしているのですね。
あなたがこれをやってくれたら、みんながうれしい。この中のだれも、あなたのようなマネはできない。あなたが一番、それをやるのに向いているのだ。ぜひやってほしい。
わかった!まかせとけ!
縄文時代だったら、こういうやり取りでもって、仕事というのは成り立ったでしょうね。
で、仕事というものに、やりがい、というものが、直接的に結びついていたのでしょう。また、嫌々仕事をする、ということにもならないでしょうネ。目覚ましが鳴ると、胃がキリキリと痛むので、胃薬を飲んで出勤、ということもなさそうです。
その証拠に、学級のみんな全員、機嫌が良いのです。
Nくんもうれしそうだし、まわりの、いっしょに考えてあげたメンバー全員(クラス全員)が、なんとなく楽しいし、嬉しいのです。
キャリア教育をやればやるほど、将来が楽しみになるし、クラスの人間関係も良くなるし、人生がばら色にかがやいて見えるようになるのです。
そのかわり、保護者受けはよくないですね。残念ですが。
隣のクラスの子も作文を書いていたのですが、それは
「警視庁に勤めるために、国家公務員採用試験を受けます。そのために大学は〇〇大学を出て・・・」
というものでした。それと比べてうちときたら・・・存在しない、架空の話しかしてないんだから・・・、まったく。