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子どもたちが21世紀をたくましく生き抜くために、もっとも必要な資質能力は何だろうか。
わたしは、「情報活用リテラシー(能力)」だと考える。
子どもたちの、情報モラル、情報リテラシーなどの資質能力を向上させなければならない。
これは世の中が求めるとても大切なもので、この力がなければ到底、これからの国際競争に勝てる人材は、わが日本国からは生まれてこない。
そこで、ネットの世界には、本当にごくまれではあるが信用できない情報が紛れ込んでいることがある、という資料を見ながら、4年生なりに学習問題をたて、クラスごとに話し合い、学びあうことにした。
ネットには正しい情報もあれば、間違った情報や思い込みが紛れ込んでいる、という話はすでに世の中の大半の大人の常識になっている。
一方、子どもたちはどうだろう。ユーチューブを見たり、ホームページを見たり、ブログを見たりしたとき、そこに置いてある情報を、どう受け取っているのだろうか。
一応、大人の常識としては、すぐには信用しない、というのが当たり前のリテラシーであろう。
検索してなにか情報がヒットしたとしても、一応、自分の眉につばをつけて、信用してよいかどうか、自分が情報に対して酔ったようになっていないか確かめつつ情報をゲットすることになっている。少なくとも、大人は。
しかし、・・・小学生はどうなんだろうか。
ユーチューバーが、「この薬はとても元気が出る」と言ってたら、信用する?その薬を、ほしいなあ、と思う?
とクラスの子に聞いてみると、男子と女子とで、反応が分かれた。
男子の大半は「無料でくれるんならもらう」と、なんともすっきりした素直な反応である。
ところが、女子の多くは疑い深いのか、「口に入れるものはもらわない」とのこと。
「じゃあユーチューバーが、マツモトキヨシに売っている◎◎という薬が、すごい元気が出る、と言ってたら、信用するかな?」
男子の多くは、実際にその人にそういう体験があるんだったら、それなりに信用する、と。
女子は、べつにこれ以上、元気になる必要が無いため、そんな薬は要らない、と。
わたしとしては、
「たとえ、大好きなユーチューバーが言ったことだとしても、すべての情報は本当かどうか判断がすぐにはつかず、即断できないので、十分に自分自身でもよく調べ、よく検討して、納得してから結論を出す」
と、言ってほしかった。
そこで、さらに質問を変えて、
「じゃあ、スーパーの野菜コーナーの、アボガドがすっごく栄養が高くて、疲れが吹き飛ぶし、健康にいい、風邪もひかなくなる、お肌もきれいになると言ってたら、信用する?」
男子は、アボガドってきらい、と。美味しくないから要らない、と。
ところが女子の数人は、
「え、それ本当なの?」
と目をキラキラさせて、
「きれいになるなら、ほしいかも」
と言った。
うーん、何か焦点がずれる。
信用する、というときの、判断の根拠や程度を問題にしたいのだが・・・・

そこで、さらに質問を変え、
「魚を食べると、頭が良くなる、とユーチューバーが言ってたら、信用する?」
子「うん。だって、本当にそう言ってたもん。お母さんが」
子「食べない。おいしくないから」
子「うそー。おいしいじゃん。お刺身なら食べる!」
子「さんまの焼いたやつなら、食べる!」
子どもたちが、うまく問題をとらえることができていない。
そこでしょうがなく、こんな事例を話した。
子「たぶん、お菓子とか食べてるよ。ないしょで」
・・・ぜんぜん、問題の焦点が合ってない。
子どもたちに、学習のポイントが伝わっていない!
どうやらこれまでの事例は良くなかったようなので、さらにこんな事例を。
身体によいと聞くと、食べ過ぎてしまうようになるのは、なんでだろうかな。
子「健康になりたいから」
子「これを食べていれば大丈夫、と思って、どんどんやりたくなったと思う」
そうそう。そうやって、どんどん気持ちとしては食べたくなるのは分かるけど、でもなんで、食べ過ぎちゃうまで、食べようとしてしまうんだろうか。
子「なんか、これさえあればすっごく元気になれるーって、やったー!って、思いすぎたんじゃない」
ようやく、焦点が定まってきた。
〜すぎる、という言葉がポイントか。
今、『これさえあれば元気になれる』って言ったけど、世の中に、これさえあれば、なんてものが、あるのかなあ。
子「いや、それだけあってもダメでしょ。夜は早く寝た方がいいし、歯も磨かないと」
じゃあ、世の中に、これさえあれば、というのは、無いと?
子「うん」
しかし、これさえあれば、というモノが、世の中にあってほしい、と思ってしまうのはなんでかなあ。
わたしがなおも食い下がると、
子「いろんなことを、あれもこれも、たくさんやらないと、と思うと、面倒だからじゃないの」
さらに食い下がって、
なんで面倒なんかなあ?
子「宿題と同じで、やんなきゃいけない、と思っているからなんじゃないの」
ここでほぼ、授業時間が終了・・・。
幾人かに、まとめを言わせると、
「なにかやらなきゃいけないと思うと、かんたんにホームページを信用してしまう」
と、ずいぶん簡潔な文を発表。
そこで、情報リテラシーの力をつけるには、まずは自分が「しなければ」と思っていることに気付くこと、ということになりました。
うーむ。情報リテラシーの授業をするには、ずいぶんと、発問をひねらなければならないですナ・・・。
子どもたちが21世紀をたくましく生き抜くために、もっとも必要な資質能力は何だろうか。
わたしは、「情報活用リテラシー(能力)」だと考える。
子どもたちの、情報モラル、情報リテラシーなどの資質能力を向上させなければならない。
これは世の中が求めるとても大切なもので、この力がなければ到底、これからの国際競争に勝てる人材は、わが日本国からは生まれてこない。
そこで、ネットの世界には、本当にごくまれではあるが信用できない情報が紛れ込んでいることがある、という資料を見ながら、4年生なりに学習問題をたて、クラスごとに話し合い、学びあうことにした。
ネットには正しい情報もあれば、間違った情報や思い込みが紛れ込んでいる、という話はすでに世の中の大半の大人の常識になっている。
一方、子どもたちはどうだろう。ユーチューブを見たり、ホームページを見たり、ブログを見たりしたとき、そこに置いてある情報を、どう受け取っているのだろうか。
一応、大人の常識としては、すぐには信用しない、というのが当たり前のリテラシーであろう。
検索してなにか情報がヒットしたとしても、一応、自分の眉につばをつけて、信用してよいかどうか、自分が情報に対して酔ったようになっていないか確かめつつ情報をゲットすることになっている。少なくとも、大人は。
しかし、・・・小学生はどうなんだろうか。
ユーチューバーが、「この薬はとても元気が出る」と言ってたら、信用する?その薬を、ほしいなあ、と思う?
とクラスの子に聞いてみると、男子と女子とで、反応が分かれた。
男子の大半は「無料でくれるんならもらう」と、なんともすっきりした素直な反応である。
ところが、女子の多くは疑い深いのか、「口に入れるものはもらわない」とのこと。
「じゃあユーチューバーが、マツモトキヨシに売っている◎◎という薬が、すごい元気が出る、と言ってたら、信用するかな?」
男子の多くは、実際にその人にそういう体験があるんだったら、それなりに信用する、と。
女子は、べつにこれ以上、元気になる必要が無いため、そんな薬は要らない、と。
わたしとしては、
「たとえ、大好きなユーチューバーが言ったことだとしても、すべての情報は本当かどうか判断がすぐにはつかず、即断できないので、十分に自分自身でもよく調べ、よく検討して、納得してから結論を出す」
と、言ってほしかった。
そこで、さらに質問を変えて、
「じゃあ、スーパーの野菜コーナーの、アボガドがすっごく栄養が高くて、疲れが吹き飛ぶし、健康にいい、風邪もひかなくなる、お肌もきれいになると言ってたら、信用する?」
男子は、アボガドってきらい、と。美味しくないから要らない、と。
ところが女子の数人は、
「え、それ本当なの?」
と目をキラキラさせて、
「きれいになるなら、ほしいかも」
と言った。
うーん、何か焦点がずれる。
信用する、というときの、判断の根拠や程度を問題にしたいのだが・・・・

そこで、さらに質問を変え、
「魚を食べると、頭が良くなる、とユーチューバーが言ってたら、信用する?」
子「うん。だって、本当にそう言ってたもん。お母さんが」
子「食べない。おいしくないから」
子「うそー。おいしいじゃん。お刺身なら食べる!」
子「さんまの焼いたやつなら、食べる!」
子どもたちが、うまく問題をとらえることができていない。
そこでしょうがなく、こんな事例を話した。
やせたいと思っている人が、やせるよ!と宣伝していた薬を買ったが、ちっとも痩せなかった、という話。子「その人、やせる気がなかったんじゃない」
子「たぶん、お菓子とか食べてるよ。ないしょで」
・・・ぜんぜん、問題の焦点が合ってない。
子どもたちに、学習のポイントが伝わっていない!
どうやらこれまでの事例は良くなかったようなので、さらにこんな事例を。
ある食品を食べると、すっごく美容効果があり、がん予防にもなり、お通じもよくなる、と書いてあるホームページを見た人が、その食品を食べ過ぎて、自分の腸に詰まらせてしまった、という話。
身体によいと聞くと、食べ過ぎてしまうようになるのは、なんでだろうかな。
子「健康になりたいから」
子「これを食べていれば大丈夫、と思って、どんどんやりたくなったと思う」
そうそう。そうやって、どんどん気持ちとしては食べたくなるのは分かるけど、でもなんで、食べ過ぎちゃうまで、食べようとしてしまうんだろうか。
子「なんか、これさえあればすっごく元気になれるーって、やったー!って、思いすぎたんじゃない」
ようやく、焦点が定まってきた。
〜すぎる、という言葉がポイントか。
今、『これさえあれば元気になれる』って言ったけど、世の中に、これさえあれば、なんてものが、あるのかなあ。
子「いや、それだけあってもダメでしょ。夜は早く寝た方がいいし、歯も磨かないと」
じゃあ、世の中に、これさえあれば、というのは、無いと?
子「うん」
しかし、これさえあれば、というモノが、世の中にあってほしい、と思ってしまうのはなんでかなあ。
わたしがなおも食い下がると、
子「いろんなことを、あれもこれも、たくさんやらないと、と思うと、面倒だからじゃないの」
さらに食い下がって、
なんで面倒なんかなあ?
子「宿題と同じで、やんなきゃいけない、と思っているからなんじゃないの」
ここでほぼ、授業時間が終了・・・。
幾人かに、まとめを言わせると、
「なにかやらなきゃいけないと思うと、かんたんにホームページを信用してしまう」
と、ずいぶん簡潔な文を発表。
そこで、情報リテラシーの力をつけるには、まずは自分が「しなければ」と思っていることに気付くこと、ということになりました。
うーむ。情報リテラシーの授業をするには、ずいぶんと、発問をひねらなければならないですナ・・・。