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部活やスポーツ教室をすぐにやめてしまう子がいて、

「すぐやめてしまった」

と、教師が残念がっていることがあるが、

まったく心配は要らない。



わたしには、教師がなんでそれでひっかかるのか、分からない。

「やめてしまった」

という言葉そのものに、すでに、ざんねんな感じが込められているよう。





テニスをやめる。

いいじゃないですか。

次、きっと、またなにか、やるでしょう。

先生も、いっしょになって、わくわくしてたら、いいじゃないですか。




部活、しなくてもよい。

テニス、しなくてもよい。




「投げ出さずに、続けるのがいい」


と、思っている人がいるけど、


子どもの動機が、

「先生やコーチに叱られるのが怖いからやる」

という程度だったら、

その子にいったい、なにが育つといえるのでしょう。

強要されなくなったら、やっぱり、投げ出すでしょう。




人生は長い。

自分が気づいて変えたもので人は生きていく。

強要されたものでは、人の核心は、なにも変わらない。





「まったく、すぐにやめてしまうんだから・・・」

困っているのは、大人。

子どもは困っていない。

なんで大人は、そのことで、困るのだろうか。

よく考えたら、不思議になってくる。




なんで、困るのか。

と、考えたことが無いから、困るのかもしれない、な。


困らないけど、いいですか。

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