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父が亡くなったのに、母が一人で店をやる、という。
第一、この夫婦、もともと商売などやったことがない。
二人とも定年で暇になり、ものはためし、とやってみただけの店。
儲けなど、度外視である。
名古屋圏ではほとんどの喫茶店が、
モーニングサービス
をする。
なのに、ここは、ただの珈琲だけ、だ。
なんでモーニングをしないの?と訊くと、
「だって、たいへんだもの」
父は、店のシステムをシンプルにした。
もちろん、老人である自分たちがやれるように、だ。
お会計は税込みで500円。
珈琲も紅茶も、コーヒーゼリーもお抹茶も、すべて500円。
なんでかと訊いたら、
「だって、間違えないでしょう。おつりだってわかりやすいし」
なるほど。老人が無理をしない設計だ。
オープンしてすぐに、コーヒーの専門業者が売り込みに来た。
1日100杯以上、対応できるというドリップの機械を買え、という。
「そんなに客が来たら、命に関わる」
と、父が即座に断った。
かと思えば、経営のコンサルタント業者から、電話もかかってくる。
「売り上げを伸ばす講習に来ませんか?」
母が、申し訳なさそうに、断っていた。
「庭の木が伸びすぎてるから、切らないといけないから行けない」
向こうは、この老婆はボケてると思ったらしく、捨て台詞を吐いて電話を切ったそうだ。
「伸びすぎるのもねえ・・・」
困惑した顔で母がつぶやくのを聞いていると、
この夫妻が喫茶店の経営に関わるのはどう見ても
間違ってると思いたくなる。
よく来てくれるお客さんが、オレンジジュースが好きだ、というのを聞いて、
メニューにオレンジジュースを加えた。
それも、ただのジュースじゃ面白くないから、生(なま)のオレンジの実を、搾ることにした。
母が、丸いオレンジをまな板の上で輪切りにし、それを半分ずつギュッと搾るのをみて、
カウンターに座ったお客さんが思わず、
「えっ、ママが搾るの?え、じゃ、いいよ、いいよ、搾んなくても・・・!!」
あわてて別の客が、
「俺が搾ってやろうか?」
とまで口走ったそうだ。
小柄な老婆が静脈の浮き出た細い腕で、ぎゅううう、とオレンジを搾ろうとしたから、
その場にいた若い者はみんな、驚いただろう。
客が口々に、
「いやあ、驚いた。もともとビンか何かに入ってるのをコップに入れて出すんだと思った。そしたら本当に搾るからびっくりした」
母が一生懸命、40キロしかない全体重をかけて、うーんしょ、と搾っているのを見て、
客全員が、
「やめて!」
と悲鳴をあげたんだから、手搾りオレンジジュースが、いかに恐ろしい企画だったかが分かる。
「うちのお客さんは、わたしがまだ生きているかどうか、たしかめに来てるみたいよ」
店の主人を心配して、やってくる客。
「ママさん、体調、大丈夫?」
老人が店をやると、こういうことになる。
わたしは息子として、きっと、客に感謝して回らなければならないだろう。
今度、お客さんにお菓子でも配ろうかしら。

父が亡くなったのに、母が一人で店をやる、という。
第一、この夫婦、もともと商売などやったことがない。
二人とも定年で暇になり、ものはためし、とやってみただけの店。
儲けなど、度外視である。
名古屋圏ではほとんどの喫茶店が、
モーニングサービス
をする。
なのに、ここは、ただの珈琲だけ、だ。
なんでモーニングをしないの?と訊くと、
「だって、たいへんだもの」
父は、店のシステムをシンプルにした。
もちろん、老人である自分たちがやれるように、だ。
お会計は税込みで500円。
珈琲も紅茶も、コーヒーゼリーもお抹茶も、すべて500円。
なんでかと訊いたら、
「だって、間違えないでしょう。おつりだってわかりやすいし」
なるほど。老人が無理をしない設計だ。
オープンしてすぐに、コーヒーの専門業者が売り込みに来た。
1日100杯以上、対応できるというドリップの機械を買え、という。
「そんなに客が来たら、命に関わる」
と、父が即座に断った。
かと思えば、経営のコンサルタント業者から、電話もかかってくる。
「売り上げを伸ばす講習に来ませんか?」
母が、申し訳なさそうに、断っていた。
「庭の木が伸びすぎてるから、切らないといけないから行けない」
向こうは、この老婆はボケてると思ったらしく、捨て台詞を吐いて電話を切ったそうだ。
「伸びすぎるのもねえ・・・」
困惑した顔で母がつぶやくのを聞いていると、
この夫妻が喫茶店の経営に関わるのはどう見ても
間違ってると思いたくなる。
よく来てくれるお客さんが、オレンジジュースが好きだ、というのを聞いて、
メニューにオレンジジュースを加えた。
それも、ただのジュースじゃ面白くないから、生(なま)のオレンジの実を、搾ることにした。
母が、丸いオレンジをまな板の上で輪切りにし、それを半分ずつギュッと搾るのをみて、
カウンターに座ったお客さんが思わず、
「えっ、ママが搾るの?え、じゃ、いいよ、いいよ、搾んなくても・・・!!」
あわてて別の客が、
「俺が搾ってやろうか?」
とまで口走ったそうだ。
小柄な老婆が静脈の浮き出た細い腕で、ぎゅううう、とオレンジを搾ろうとしたから、
その場にいた若い者はみんな、驚いただろう。
客が口々に、
「いやあ、驚いた。もともとビンか何かに入ってるのをコップに入れて出すんだと思った。そしたら本当に搾るからびっくりした」
母が一生懸命、40キロしかない全体重をかけて、うーんしょ、と搾っているのを見て、
客全員が、
「やめて!」
と悲鳴をあげたんだから、手搾りオレンジジュースが、いかに恐ろしい企画だったかが分かる。
「うちのお客さんは、わたしがまだ生きているかどうか、たしかめに来てるみたいよ」
店の主人を心配して、やってくる客。
「ママさん、体調、大丈夫?」
老人が店をやると、こういうことになる。
わたしは息子として、きっと、客に感謝して回らなければならないだろう。
今度、お客さんにお菓子でも配ろうかしら。

今日の記事を読んで、心がほわっとしたと同時に、オレンジのさわやかな香りがふわぁ~っと鼻をかすめていきました。
素敵なお客様がいらっしゃる、素敵な喫茶店ですね。