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先日の休みの日。

数人の若い先生と一緒に呑みましょう、ということに。

「さぁ、2学期だ、また、いっしょに頑張りましょうや」、と。

久しぶりに、いろんなことを話しました。





こうやって話してみると、いろんなことが見えてくる。

先生たち、みんな、「先生らしさ」と、戦っている。


実際には、得意分野、教科の志向、世代間の違いなど、分化した先生たちの姿がある。

先生も多様なのだ。

一人ひとり、教師は、世間の期待というものと、実際の自分を、いつも比べている。

そして、実は自分がそうではない、ということのうしろめたさのようなものも、隠し持っていたりする。

世間の中心に当然のように置かれた先生らしさ像に、「怖れ」に似た気持ちさえ、持っているのだ。



先生とは、テレビや新聞で語られる先生像だけではない。

実際の先生らしさ像は意外におもしろい。

実はゲイ、という先生もいる。

教師を辞め、転職しようとする先生、

休日は山にこもる、というアウトドアな先生、いろいろだ。



自分は、先生らしさの中心から、ほんの少しずれている、と分かっている。

だから、すこし、世間の目を忍んで、という意識がある。



飲み会では、絶対に、

「〇〇先生」 とは相手を呼ばない。

それが、教師の飲み会の最重要ルールだ。

店員さんから、

あの人たち、教員なの?

と、うしろ指を指されてしまうからだ。

教員が飲み屋に居る、ということだけで、顔をしかめる人たちもいる。



おそらく、日本中の先生が、みんな飲み会では気を付けていると思う。

先生は、素を明らかにしてはならない。

この意識が変わると、だいぶ楽になると思う。

先生も、世間も。

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