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父が入院しているので、見舞いに行った。
この父には感謝している。
とくにありがたいのは、
わたしが人生を、かなりナメていたことを、許してくれていたことである。
今でも私は、人生を甘いと感じ、ナメた感じがあるのだが、
それも、しずかに許容してくれている。
ふつうの父親であったなら、
「人生は、そんなに甘いもんじゃないぞ!」
と、叱るような気がする。
今でも、はっきりと、わたしは人生をなめている。
今の人間社会の根底の問題は、
人生をなめることのできない人が多い、ということに尽きる。
なめて、生きていくのが人生なのである。
人生は、ソフトクリームのように、甘い。
それを、
「なめたらあかん」
と言うから、おかしくなって、多くの人が「鬱」になる。
20歳の頃の、瞬間的な熱量で、わたしは世を、さすらってしまった。
さすらうことの、心地よさに、酔いしれてしまった。
だから、教師になるのが、ずいぶん遅くなった。
40歳を前にようやく教師を始めた、なんてのは、ずいぶん、世間を舐めた話かもしれない。
さすらう、を、漢字で書くと、
『流離う』
と書く。
わたしのような、さすらい者は、
人生の初期に
「自分は中途半端な、ふがいない奴」
と自覚したからか、
すっかり、社会の中で無理をしなくなった。
だからかもしれない。
「老い」に対する恐怖が、あまり、無い。
「メロンを、あと何回、食べられるかね」
と、父が言う。
あと何年生きられるか。
あと何回、食べられるか。
自分も、人生の真ん中は超えた。
自分の年齢の数え方が、ごく最近、変わった気がする。
若い頃は、0から数え始めた。
今は、逆だ。
あと何年生きるのか、と数えるようになった。
父の病室を何度か見舞ううちに、自然とそうなってきたようだ。
父とその後、なんということもない、ごく普通の会話をして、病室をあとにした。
「じゃあ、またね」
渥美半島のメロンは、気に入ってもらえただろうか。

父が入院しているので、見舞いに行った。
この父には感謝している。
とくにありがたいのは、
わたしが人生を、かなりナメていたことを、許してくれていたことである。
今でも私は、人生を甘いと感じ、ナメた感じがあるのだが、
それも、しずかに許容してくれている。
ふつうの父親であったなら、
「人生は、そんなに甘いもんじゃないぞ!」
と、叱るような気がする。
今でも、はっきりと、わたしは人生をなめている。
今の人間社会の根底の問題は、
人生をなめることのできない人が多い、ということに尽きる。
なめて、生きていくのが人生なのである。
人生は、ソフトクリームのように、甘い。
それを、
「なめたらあかん」
と言うから、おかしくなって、多くの人が「鬱」になる。
20歳の頃の、瞬間的な熱量で、わたしは世を、さすらってしまった。
さすらうことの、心地よさに、酔いしれてしまった。
だから、教師になるのが、ずいぶん遅くなった。
40歳を前にようやく教師を始めた、なんてのは、ずいぶん、世間を舐めた話かもしれない。
さすらう、を、漢字で書くと、
『流離う』
と書く。
わたしのような、さすらい者は、
人生の初期に
「自分は中途半端な、ふがいない奴」
と自覚したからか、
すっかり、社会の中で無理をしなくなった。
だからかもしれない。
「老い」に対する恐怖が、あまり、無い。
「メロンを、あと何回、食べられるかね」
と、父が言う。
あと何年生きられるか。
あと何回、食べられるか。
自分も、人生の真ん中は超えた。
自分の年齢の数え方が、ごく最近、変わった気がする。
若い頃は、0から数え始めた。
今は、逆だ。
あと何年生きるのか、と数えるようになった。
父の病室を何度か見舞ううちに、自然とそうなってきたようだ。
父とその後、なんということもない、ごく普通の会話をして、病室をあとにした。
「じゃあ、またね」
渥美半島のメロンは、気に入ってもらえただろうか。
