.
わたしが小学校の頃。(今から、もう四十年も前だ)

小学校の一年上級に、虫取りの得意な少年がいた。

塚本という姓であったため、みんなからつかちゃんと呼ばれていた。

彼はたもを持つと横なぐりにビュッと振り回し、一度に何匹もとんぼをつかまえた。



つかちゃんは、冬になってもサンダル履きで過ごした。

くつ下なんというものには、目もくれなかった。

足はいつもすり傷だらけ、乾いた泥をこびりつかせたままで、

平気で家に入ってきては大人に叱られているような子どもだった。




つかちゃんは、私を外へ誘い出すのが上手だった。

雨降りの日でも外で遊びたがった。

大人が使うような黒い大きな傘をさして、ゴム長を履いて玄関で待っているつかちゃんは、

ある日、両腕にインスタントコーヒーの空き瓶をいくつも抱え、

私にも、いくつか持たせたのだった。



「ガムシを取りに行こう」

つかちゃんは急いで早口でしゃべった、「空き地にいっぱいおる。」



ガムシなんていう虫は知らなかったが、

つかちゃんの腕力に押されて空き地へ連れていかれた。

わたしは、その『ガムシ』というのが、肌を刺したりしないかどうか心配した。



空き地では、住宅を建てるために整地工事が始まっていたようだった。

雨の中にひっそりと黄色いショベルカーが置かれ、そいつが通った跡に

でっかい水たまりが出来ていた。



つかちゃんは脇にしゃがみこむと手のひらで丹念に水をかい出しては、

「ほらおるおる」

黒い小さな斑点のような虫を水ごと瓶へ入れた。

それは、ゲンゴロウのはるかに小さく縮んだような、迫力に欠ける虫であった。


幾分、期待を裏切られたような気分でいると、

つかちゃんは瓶をたちまちいっぱいにし、

「次!」

と、下を向いたままで叫んで片手を突き出し、空き瓶を要求した。

僕は黙って抱えていた瓶を差し出した。



つかちゃんは、

大人の知らない、大人が教えてくれないようなことを、

教えてくれる人であった。

子どもだけが持っている世界、知っている世界、浸っている世界が、あることを、

つかちゃんは、当時、わたしに教えてくれたのであった。

クスサン幼虫をもらった手のひら