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子どもたち、朝から、なんとはなしに、タノシイ、ようである。

これが、なぜなのか、わからない。

たぶん、居心地が悪い、と感じている子がほとんどいないからだろう。


ところが、わたしとしては、算数をたくさんさせるし、宿題をチェックするし、

どんどんと当てるし、作業させるし、授業の進め方は他の先生よりも忙しいようで、

学校がきらいに思う子も、中には実はいるんだろう、と思う。



ところが、なんとなく、教室は、タノシイ。

これは、友だちがいてくれる、そのおかげでありましょう。

仲の良い友だちが、いっしょになって励んでくれるのであれば、

むずかしい算数もやる気になり、宿題もまあ、やってこようと思い、

みんなで答えを確認しあって、

「あってたー」
「うぎゃー、ちがってたわ」

と言い合うのも含めて、宿題もそんなには苦にならないようである。


「先生、黒板に書くスピードが速すぎるよ」

という子もいるが、

「これは6年生レベルのスピードだったな。みんなは4年生だから、ちょっとゆっくりにするか」

というと、

「あ、ゆっくりにしないでいい。6年生レベルでやろう」

こういうのは、いったい何だろう、と思う。




それとか、

「宿題やだー!!」

と言いながら、

「でもやっぱ、宿題、出して」

と言うのは、なんだろうか。



よく大人は、

「自分の本当の気持ち」

とか表現したりしますが。

宿題をやりたい、やりたくない、というのは、自分の気持ちのうちでも、

かなり表層の、薄皮の一枚、という感じだね。

そのもとにあるのは、

宿題をやらなきゃならない、と思っているか、そうは思っていないか、だね。




「先生、算数みんなで答え合わせするんだったら、もう1枚出して」

つまり、この子は、宿題をやりたいかやりたくないか、こたえはどちらでもない。

「みんなで、答え合せ」がやりたい。これが答え。

もっと言うと、

「あー、合ってたー。〇〇ちゃんも合ってたー。あ、つぎのはちがってたー、〇〇ちゃんもちがってたー。これ、むずかしいよねー」

というのがやりたいのであって、

「宿題がやりたいか、やりたくないか」

という、2つから選べ、じゃないのな。自分の本当の気持ち、というのは、ネ。


syukudai_boy