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教室が活性化する瞬間というのは、友達が思わぬ発言をしたときだ。

「え!?」

みんなが驚いて、その子を見る。

本人は、いたってふつうだ。

「だって、〇〇〇〇だから」


すると、まわりがいっせいに色めき立つ。

ついで、がやがやと、会話が自然発生する。

「まって!!漢字辞典でしらべるから!!」

有志が立ち上がって、勝手に辞典で調べ始める。

「わかる?」

「意味わかんないから、もう一度、言って!」

「ええっと、〇〇〇〇じゃないかなあ」

「え?どういうこと?」

教師は、そんなカオスをもう、どうすることもできず、ただ立ち尽くしている。



呆然とし、くたびれ果てたように、椅子にどたっとすわりこむのは、教師であり、

子どもたちは一斉に椅子から立ち上がり、めいめいに好き勝手な意見を交わし始める。


教師は力の尽きたように、3分ほどして、ようやく口から声を発する。

「おおい、みんなー、もういいかいー?」

「まだー」




これは、ね。

友達が、面白いんだよね。

友達が考えていることが、面白いんだな。

学校には、問いがあり、問いがあるということの背景には、

人間はモノを知らない、という前提がある。

友達が、そこで、ひょんな意見を言ったり、なにかを主張したりするのは、

それだけでもう、とてもエキサイティングなことであります。



友達の、やることなすこと、発する言葉、タイミング、しでかすこと、興味を持つこと、

それらが、もう面白くて仕方がないのです。