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タイトル再考しました。

やはり、自分はもう、叱る、叱らないについては、

見事なくらいあっさりと、関心が消えてしまった。

そんなのは、もう、当たり前。

叱らないのは、当然。



そこで、今の興味は、ちがうところにあります。

「困る」と「困らない」です。

今年はひとつ、困らないでやってみよう、と。

タイトルは、

『困らないけど、いいですか』




わたし、長らく、誤解してまして。

教師というのは、困るのが仕事だと思ってるところがありました。

あれこれ、子どもを心配したり、困ってあげる。

それが、理想の教師だと。

でも、自分は何だか、子どもをみても、あれこれ心配にならない。

教師には向いてないのか、と悩みました。

子どものあかんところで困り、心配する。

あるいは、

「あの子、どうなるんだろう」

と職員室で不安になり、困る。

それが、教師の仕事だと思ってきました。

教師にはそれが必要な態度なのだ、と。





ところが、うまく心配できない。

せっかちなので、心配などする暇があれば、提案をしたい、と思うのが原因かもしれない。





振り返ると、もう何年も、困っていない。心配もしていない。

また、教師が「困る」と子どもが伸びるかというと、多分、そうじゃないだろう、という思いもある。




叱る、叱らない、の話は、もう、このくらいで。
あとは、困る、困らない、の話をしよう。

いかがでしょう。

困らない、教育。
困らない、子育て。





アホか、子どもの心配をしない親が、どこにいるのか!

子どものことで、一緒に困ってやるのが、親のつとめでしょう!

と、ふつうはそう思いますよね。

当然です。わたしもずっと、そう思ってきましたから。



ところが、よく考えてみると、叱らないの元に、この「困らない」があるように思う。

困らないから、叱らないのだ、と思えてくる。



そもそも、

子どもの姿に困らない。

困らないから、叱らない。

ただ、次にとる行動を提案するだけ・・・。




そんなわけで、

「困らないでもいいですか」、


として、

再スタートです。

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