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教員は、なにかを、やりすぎなのではないだろうか。

過剰に、やりすぎ、なのではないだろうか。

アルコールでも、塩分でも、過剰なのではないだろうか。

そして、いろいろなことを、気にしすぎなのではないだろうか。

さらには、働きすぎなのではないだろうか。

ワーカホリック、という言葉もある。

子どもも大人も、働きすぎ。勉強も、しすぎ、やりすぎ。

教員は、行事をしすぎ、やりすぎ。


スイミングも、野球も、サッカーも、やりすぎて、肩を壊し、膝を壊し、「故障」する。

外反母趾は、ハイヒールの履き過ぎ。

腱鞘炎は、ゲームのやりすぎ。




できるだけ、やらないようにする、というのが、回復への第一歩なのではないだろうか。


現代の学校は、小学校のうちから、子どもたちに向けて、

「できるだけ努力して、『なにもやらない』ことができるようにしましょう」

と指導するべきなのではないだろうか。


これを、「なにもしない力(りょく)」、

別名、Do Nothing、つまり 無行力(むぎょうりょく)という。



朝の読書時間もいいけど、

「朝の、なにもしない時間」

をつくったほうがいいのでは・・・?



なにもしない、ということに、耐えられる人間だけが、次の世代に生き延びることができるのではないだろうか。

現代人は、なかなか、耐えられないのではないだろうか。


ともかく、しすぎやりすぎの人は、早く倒れる。


気になるのは、

だまそうとする人にとって、だまされる人の特徴は、なんでも過剰に思い込み、反応し、「やらなければ・・・」と思う人だそうで・・・。

他人の口車にのってしまい、口八丁手八丁、粉飾された嘘にころっとだまされ、いともやすやすと、意図されたブームに乗ってしまう。こうしなきゃ、と必要を説かれ、騙られると、簡単に信じて、うかうかと財産をはたいてしまう。

〇〇しすぎ、という体質の教員を、「しすぎ症候群教員」という。



○必要だから
○よいことだから
○みんなやってるから
○昔からやってるから
○努力は尊いから
○「継続は力なり」だから


ということが理由で、子どもたちにやらせることで、いいことなんてあまりないのでは??



一方で、やりたい、という声を邪魔することもない。

やりたければ、どうぞ、といって、尊重する。

少なくとも、うちの学級は、そういう学級。

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