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社会の授業で、国会議員の仕事や、立法、行政、司法の三権分立などについて学ぶ。
民主主義の根本だから、小学校で学ぶのは当然のことだろう。

ところで、これまでの日本の歴史の中で、いちばんこの

国会議員

に注目が集まった時期はいつだろう。

子どもたちとともに調べていくと、どうやら戦争が終わって間もなくの時期がそうらしい。

「昭和21年に、衆議院の国会議員をえらぶ選挙が行われました。
立候補した人が、なんと2770人もいました。(うち466人が選ばれる)
どうしてこれほど、国会議員になろうとする人数が多かったのでしょう。」


衆議院議員に立候補する人の数


実はこのときがもっとも多く、その後はどんどんと立候補する人数は減っていく。

「先生、いまはどのくらいなの?」

子どもたちに予想させると、現在は、だいたい1500人くらいだろう、と予想する子が最も多い。

「合格する人が(当選する人が)、500人弱だよね。どれくらいかなあ」

そこから考えて、まあその3倍くらいは立候補しているのではないか、という予想。

しかし、実態はまったく少なく、小選挙区制になってからはほとんど、500人程度である。

「少なくない?」

と、子どもたち。




「立候補するのに、金がかかるんだよね」

それも一つはあるかも。



戦争というむごい世界観から抜け出て、理想に燃えていた時代。

自分たちで、ぜったいに戦争や偽りのない時代を迎えよう、という考えが強かった時代。

国会議員に立候補する人の多かった時代は、どうやらそんな時代だったのかもしれない。



悪法と名高かった、「食糧管理法」のもと、裁判官が餓死したのは、昭和22年だ。

闇米を買う人が検挙され、処罰を受けた時代。

しかし、「闇米は食べない」として、ルールを貫いた裁判官が餓死する時代だった。

日本人のだれもが、法律に違反し、闇米に手を出していた。
たしかに『悪法』だったかもしれないが。

裁判所の記録には、闇米で検挙された老婆が、裁判官に向かって「鬼め!」と叫んだ記録まであるそうな。


そんな昭和21年、なぜ、国会議員に立候補しようとする若者が多かったのか。
(ここでいう若者には30代、40代を含みます)


子どもたちは、あれこれと考える。

法律をつくることができるのは、国会議員だ。

その国会議員になろうとする人が、全国に2770人もいた、という事実。



独裁ではない、自分たちが自分たちに一番良いとするルールをつくり、自分たちがそれを守るのだ。

「民主主義」、という言葉が、華々しく登場し、日本人がそれへの理解を自分のこととして必死に深めようとした時代。

6年生の社会科の学習は、長い歴史学習を終え、いよいよ「民主主義」の学習を迎える。

まさに、佳境、という気がする。

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