.
思い出してみると、小さい頃のわが家にも、寝袋があったような記憶がある。使用したのはやはり、畳の上ではなく、山小屋であった。
小学校三年生の夏休み、父と母は共謀して、子どもたちを長野の高原へ連れ出した。その計画が発表されてから、子どもたちはどれほど喜んだことだろう。山登りときくと、まるで自分たちが、ヒマラヤかエベレストにでも登る気分になり、過剰な興奮でめまいがするほどであった。
出発前、もっとも忙しいのは母であった。
家族の弁当の用意から、種々の道具の準備、子どもたちの服の用意、怪我対策、まさかのときのための健康保険証、あるいは道路地図から水筒の用意まで、あらゆる仕事を為さなければならない。
これらをまたいかにしてコンパクトにまとめるか、袋に収納して運ぶか、ということにまで知恵を使い始めると、すでに疲労困憊といった具合であった。父は何をしていたろうか。記憶にないところをみると、やはり前日の夜のぎりぎりまで、仕事をしていたにちがいない。
子どもたちは、山へ行く、という前代未聞の興奮状態に我を忘れたようになり、熊を退治する、といって金属バットを準備したかと思えば、姉二人は湖畔でサイクリングをするんだ、といって自転車のタイヤの空気圧をしらべたりし、家族中がまるで気が違ったようになっていた。
当日の朝、車に乗り込んで、道路地図をにらみながらウンウンとうなっていたのは、父である。私たち兄弟が準備した意味のない荷物は朝一番に母の手によって半分以下に減らされ、下の方の姉がギリギリまで抵抗していっしょに連れて行くことになったペンギンのぬいぐるみさえ、トランクの底の方にしまわれてしまった。
不思議なことに、私たちが出発の準備をととのえて、車に乗り込んでいるにもかかわらず、いつまでたっても母だけが姿をみせない。父は、道路地図を放り出し、ダッシュボードの上に足を乗せると、クラクションを派手に鳴らした。姉が家の中へ偵察に伺うと、驚いたことに母はまだシミーズ姿のままで、鏡台で懸命に化粧をしているのであった。
長野の高原は、ひんやりと涼しく、快適な空気に満ちていた。カッコウの声がきこえると、私たちは心をときめかせ、手を叩き、すでに勝利の余韻に浸ったようになった。目的地につくと、姉の想像した静かな湖畔はなく、私が待ち構えていた退治すべき熊もいなかったが、私たちが想像も出来なかった、すばらしいバンガローが、全身に木の香をただよわせて待っていた。
父が得意気にバンガローの扉を開けると、ずいぶんと広い部屋があらわれ、部屋の壁にはしゃれた置物や写真、ランタンなどがかざってあった。しかし、それらをじっくりとみてみると、長い間使われていなかった証拠に、見たこともないような大きな蚊や蚋、もしくは蛾のたぐいが壁にへばりついており、父はそれらを退治せねばならなかった。
「蚊取り線香はなかったか」
父が呼ぶと、母は張り切って荷物を探し始めた。しかし、残念なことに、それらを忘れてきたことが判明した。姉は二人で顔を見合わせ、この世の終わりだ、というような顔をした。
バンガローの近くで夕食のための準備を始めていると、すぐ近くの森から、一人の少年がひょっこりと姿をみせた。裸足にサンダルばき、傷だらけの足をして、よく日焼けした顔がニコニコしている。
私は、母と姉らが夕食に気を取られている間、ずっとその少年と遊ぶことにした。彼もまた、高原へ遊びに来た観光客であった。彼は、家族と東京から来たといい、道脇に止めてある大きな車のところまで連れていってみせてくれた。キャンピングカーというのだろうか、うちの小型車の二倍はあろうかという大きなもので、どうも旅慣れた一家のようであった。さらに聞くと、少年の泊まるテントは、父親がいつも使っているものだそうだ。
「お父さん、登山家なんだ」
トザンカ、というのが何なのか、私は分からなかった。しかし、どうも大層な職業らしく、彼は得意そうに、鼻をピクつかせた。
「うちのお父さんは、サラリーマンなんだ」
私も負けじと、鼻をうごめかせた。サラリーマン、というのも、実のところ多少その意味が判然としないのであったが、たぶんそれは、スーパーマン、スパイダーマン、仮面ライダーマン、といったたぐいの人であり、すこぶる超人的であるはずだった。
「ナントカマン、というやつじゃないの?」
私がなおも意地悪く問いつめると、少年はどうも困ったような顔をした。
「見に行く?」
少年は、その御父様に会わせてくれた。ものすごいヒゲの、たくましい方であった。
「どう?すごいでしょう。キミんとこ、ヒゲある?」
少年は、勝ち点を稼いだ、というように目を光らせて訊ねた。
私は素直に、敗北を認めた。残念なことに、サラリーマンは毎朝、あのもじゃもじゃとたくましく育つはずの黒い点々をすっかり剃ってしまうのである。
私と少年がいっしょになって遊んでいるのが、よほど嬉しかったらしく、彼の御父様は笑って話しかけてくださり、私たちが五人家族ですぐ近くのバンガローにいることが分かると、いっしょにご飯を食べようか、と誘ってくださった。
その夜の食事は、なんとも豪勢なものであった。奥様はまだ若く、ほっそりと痩せた方であった。一人息子の少年は、私と一緒に食べっくらをし、最後にデザートやお菓子を食べるころには、横になって立てないほどになっていた。わが家は、果物の缶詰やキリンレモンを提供し、フルーツポンチ風にしてふるまった。これは、好評に迎えられた。母どうしも話しが合うようであり、父どうしも話しが弾んでいた。
トザンカの御父様は、わりと静かな落ち着いた声でゆっくりと話し、その一方でよく笑った。私の父もよく笑っていた。私は、このように、身体の大きな父という存在が二つあり、それらが話をしているのが面白かった。こういう大きな存在は、めったに現れないものと思っていた。また、ひとつきりしか現れないものだと思っていた。ところがその夜は、目の前に、ふたつも出現していた。
ゴジラとガメラがふたつとも画面いっぱいに現れた感じであった。
楽しい宴会がお開きになるころ、母が言いにくそうに、蚊取り線香の拝借を頼んだようである。少年が、荷物の中から線香を取り出して、渡してくれた。それはわが家でよくみるタイプの、緑色をした細いうず巻き状の線香ではなかった。茶色でごく太く、まっすぐの形をしていた。
「登山するときは、これなんですよ。なにしろ、ものすごく強力なんです」
ヒゲの御父様がいうと、わが家の父が
「登山家はさすがですなあ」
と喜んでみせた。どうも、向こうの方に、ちょっと分があったような気がしてならない。
楽しかった高原のキャンプから帰宅した次の日の朝。
私は遠慮がちに、父に頼んでみることにした。
「お父さん、お願いだから、ヒゲ伸ばしてよ」
ちょうど洗面所でヒゲをそっている時に頼んだので、父は鏡を見ながら、
「ん?」
と、短く反応しただけであった。
このところ、久しく山登りもしていない。寝袋を持参しての登山というと、どうもおっくうな気がしている。日帰りでもいいから、思いきってでかけてみると気持ちが良いだろうなあ。
自宅から、小高い山が見える。
今は雪で山頂は真っ白だが、夏になれば登山もできよう。
いつか、山頂にまで行ってみようと思っている。
思い出してみると、小さい頃のわが家にも、寝袋があったような記憶がある。使用したのはやはり、畳の上ではなく、山小屋であった。
小学校三年生の夏休み、父と母は共謀して、子どもたちを長野の高原へ連れ出した。その計画が発表されてから、子どもたちはどれほど喜んだことだろう。山登りときくと、まるで自分たちが、ヒマラヤかエベレストにでも登る気分になり、過剰な興奮でめまいがするほどであった。
出発前、もっとも忙しいのは母であった。
家族の弁当の用意から、種々の道具の準備、子どもたちの服の用意、怪我対策、まさかのときのための健康保険証、あるいは道路地図から水筒の用意まで、あらゆる仕事を為さなければならない。
これらをまたいかにしてコンパクトにまとめるか、袋に収納して運ぶか、ということにまで知恵を使い始めると、すでに疲労困憊といった具合であった。父は何をしていたろうか。記憶にないところをみると、やはり前日の夜のぎりぎりまで、仕事をしていたにちがいない。
子どもたちは、山へ行く、という前代未聞の興奮状態に我を忘れたようになり、熊を退治する、といって金属バットを準備したかと思えば、姉二人は湖畔でサイクリングをするんだ、といって自転車のタイヤの空気圧をしらべたりし、家族中がまるで気が違ったようになっていた。
当日の朝、車に乗り込んで、道路地図をにらみながらウンウンとうなっていたのは、父である。私たち兄弟が準備した意味のない荷物は朝一番に母の手によって半分以下に減らされ、下の方の姉がギリギリまで抵抗していっしょに連れて行くことになったペンギンのぬいぐるみさえ、トランクの底の方にしまわれてしまった。
不思議なことに、私たちが出発の準備をととのえて、車に乗り込んでいるにもかかわらず、いつまでたっても母だけが姿をみせない。父は、道路地図を放り出し、ダッシュボードの上に足を乗せると、クラクションを派手に鳴らした。姉が家の中へ偵察に伺うと、驚いたことに母はまだシミーズ姿のままで、鏡台で懸命に化粧をしているのであった。
長野の高原は、ひんやりと涼しく、快適な空気に満ちていた。カッコウの声がきこえると、私たちは心をときめかせ、手を叩き、すでに勝利の余韻に浸ったようになった。目的地につくと、姉の想像した静かな湖畔はなく、私が待ち構えていた退治すべき熊もいなかったが、私たちが想像も出来なかった、すばらしいバンガローが、全身に木の香をただよわせて待っていた。
父が得意気にバンガローの扉を開けると、ずいぶんと広い部屋があらわれ、部屋の壁にはしゃれた置物や写真、ランタンなどがかざってあった。しかし、それらをじっくりとみてみると、長い間使われていなかった証拠に、見たこともないような大きな蚊や蚋、もしくは蛾のたぐいが壁にへばりついており、父はそれらを退治せねばならなかった。
「蚊取り線香はなかったか」
父が呼ぶと、母は張り切って荷物を探し始めた。しかし、残念なことに、それらを忘れてきたことが判明した。姉は二人で顔を見合わせ、この世の終わりだ、というような顔をした。
バンガローの近くで夕食のための準備を始めていると、すぐ近くの森から、一人の少年がひょっこりと姿をみせた。裸足にサンダルばき、傷だらけの足をして、よく日焼けした顔がニコニコしている。
私は、母と姉らが夕食に気を取られている間、ずっとその少年と遊ぶことにした。彼もまた、高原へ遊びに来た観光客であった。彼は、家族と東京から来たといい、道脇に止めてある大きな車のところまで連れていってみせてくれた。キャンピングカーというのだろうか、うちの小型車の二倍はあろうかという大きなもので、どうも旅慣れた一家のようであった。さらに聞くと、少年の泊まるテントは、父親がいつも使っているものだそうだ。
「お父さん、登山家なんだ」
トザンカ、というのが何なのか、私は分からなかった。しかし、どうも大層な職業らしく、彼は得意そうに、鼻をピクつかせた。
「うちのお父さんは、サラリーマンなんだ」
私も負けじと、鼻をうごめかせた。サラリーマン、というのも、実のところ多少その意味が判然としないのであったが、たぶんそれは、スーパーマン、スパイダーマン、仮面ライダーマン、といったたぐいの人であり、すこぶる超人的であるはずだった。
「ナントカマン、というやつじゃないの?」
私がなおも意地悪く問いつめると、少年はどうも困ったような顔をした。
「見に行く?」
少年は、その御父様に会わせてくれた。ものすごいヒゲの、たくましい方であった。
「どう?すごいでしょう。キミんとこ、ヒゲある?」
少年は、勝ち点を稼いだ、というように目を光らせて訊ねた。
私は素直に、敗北を認めた。残念なことに、サラリーマンは毎朝、あのもじゃもじゃとたくましく育つはずの黒い点々をすっかり剃ってしまうのである。
私と少年がいっしょになって遊んでいるのが、よほど嬉しかったらしく、彼の御父様は笑って話しかけてくださり、私たちが五人家族ですぐ近くのバンガローにいることが分かると、いっしょにご飯を食べようか、と誘ってくださった。
その夜の食事は、なんとも豪勢なものであった。奥様はまだ若く、ほっそりと痩せた方であった。一人息子の少年は、私と一緒に食べっくらをし、最後にデザートやお菓子を食べるころには、横になって立てないほどになっていた。わが家は、果物の缶詰やキリンレモンを提供し、フルーツポンチ風にしてふるまった。これは、好評に迎えられた。母どうしも話しが合うようであり、父どうしも話しが弾んでいた。
トザンカの御父様は、わりと静かな落ち着いた声でゆっくりと話し、その一方でよく笑った。私の父もよく笑っていた。私は、このように、身体の大きな父という存在が二つあり、それらが話をしているのが面白かった。こういう大きな存在は、めったに現れないものと思っていた。また、ひとつきりしか現れないものだと思っていた。ところがその夜は、目の前に、ふたつも出現していた。
ゴジラとガメラがふたつとも画面いっぱいに現れた感じであった。
楽しい宴会がお開きになるころ、母が言いにくそうに、蚊取り線香の拝借を頼んだようである。少年が、荷物の中から線香を取り出して、渡してくれた。それはわが家でよくみるタイプの、緑色をした細いうず巻き状の線香ではなかった。茶色でごく太く、まっすぐの形をしていた。
「登山するときは、これなんですよ。なにしろ、ものすごく強力なんです」
ヒゲの御父様がいうと、わが家の父が
「登山家はさすがですなあ」
と喜んでみせた。どうも、向こうの方に、ちょっと分があったような気がしてならない。
楽しかった高原のキャンプから帰宅した次の日の朝。
私は遠慮がちに、父に頼んでみることにした。
「お父さん、お願いだから、ヒゲ伸ばしてよ」
ちょうど洗面所でヒゲをそっている時に頼んだので、父は鏡を見ながら、
「ん?」
と、短く反応しただけであった。
このところ、久しく山登りもしていない。寝袋を持参しての登山というと、どうもおっくうな気がしている。日帰りでもいいから、思いきってでかけてみると気持ちが良いだろうなあ。
自宅から、小高い山が見える。
今は雪で山頂は真っ白だが、夏になれば登山もできよう。
いつか、山頂にまで行ってみようと思っている。