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寝袋で寝るのは、何も山だけに限ったことではない。畳の上でも、寝袋を使うときがある。松江で一軒の小さな家を借り、友人と住んでいた頃のことだ。いきなり寝袋が必要になった。
夜遅く、友人といっしょにアルバイトから帰ってみると、驚くべき光景に遭遇した。
「今朝って、はれてたよな」
たしかによく晴れていたのである。私は陽のあたる窓枠にふとんをかけて、外出したのであった。ところが夕方から大振りの雨が降り出し、だんだんと雨足は強くなった。目の前にある私のふとんは、たたきつけるような雨の下で、窓枠から半分ずれ落ち、暗く濡れた地面の上にころがっていた。
それを見た友人は、
「俺、無精で良かったなあ」
と安心したため息をもらした。彼は、ふとんなど干したことがなかったのだ。
しかし、さすがに友人である。びしょぬれのふとんを目の当たりにすると、私のことがふびんにおもえたらしい。押入れから奇妙な黒い袋を取り出すと、
「おい、これで寝られるぞ」
と、手渡してくれた。
それは、まだ新しい寝袋であった。
その晩、畳の上にじかに寝袋を敷いて横になると、窓の外からきこえてくる雨だれの音が、なんともわびしく聞こえたものだ。私は友人の好意に感謝した。だが、ちょっと気になったのは、その寝袋から妙な香りがただよってくることであった。清楚で、上品な、なんともいえぬ香りである。
「平安貴族が衣類に焚き染めたような香りだ」
と、私は横になりながら思った。それは、寝袋の中で姿勢を変えたり、身体の向きを変えようとするたびに、強く香ってくるのであった。
翌朝、その件について問いただしてみると、友人は
「それさ、仏間の押入れにしまってあったから」
と答えた。
それで合点がいった。寝袋から感じる奇妙な香りは、お線香の香りであったのだ。
友人は、ある宗教家のもとに生まれ育った。四国にある実家は大きなお寺で、檀家から寄付された物品があれこれと届いたらしい。したがって、彼はいつも金はなかったが、そのかわりいろいろと、物を持っていた。寄進されたそれらのものは、しばらくの間、仏さまの鎮座される部屋の一隅に、奉納という形で置かれるのだという。友人は、私が渡した寝袋を顔の前に持っていくと、丁寧に匂いを嗅ぎ、
「うーん、仏間に長く置きすぎたな。線香の匂いがとれないや」
といって、そのまま開いていた押入れに投げ込んだ。
その友人の父親が、下宿の様子を見に来たことがある。
お父様は、牛肉をたっぷりとおみやげに持ってきてくださった。
なにしろ、宗教家である。私は、いくぶん緊張気味になった。
お父様は、べつに神がかり的な格好ではなく、ごく普通の服装で玄関に現れた。私は、山伏のように金剛の錫を持ち、いくつも房をつけた特別な衣装でいらっしゃるのでは、と想像していたため、多少がっかりしたのであった。
御父様は、予想外によくしゃべった。
頂き物を目にしているので私は正座を崩さず、言われることにいちいち、ごもっとも、というふうにうなずいていた。御父様は独自の教育哲学を語り、運命論をぶちあげ、さらには山登りの諸注意をアドバイスしてくださった。同居人である息子の方をみると、これも手土産のウイスキーを、ちびりちびりと嘗めながら聴いている。その息子がかすかに眠りかけようとすると、私は彼の肩肘をつついたりしながら、持論をご披露して下さるお父様の顔と、そのよく動く口を見つめていた。
友だちの父親に会うのは、妙な心もちがする。それは、私が父親に対してある決まった印象を抱いているからかもしれない。自分の父親のことだってよくわからないのに、友人の御父様となると、なお一層、正体のつかめない心地がするのだ。そのような方にお目通り叶うのはいいが、言葉を交わすとなると、ちょっと畏れ多い気もする。
四国から、牛肉とウイスキーを持参して、息子の様子をみにきた御父様は、長い弁舌のあとはぐっすりとお休みになった。翌朝も、別に朝の水垢離をとることもなく、裃をつけて榊を振ったり、熱心に神仏に祈ることもせず、平凡なあくびをひとつすると、松江駅からごく普通にお帰りになった。
その後、友人が新しい服を着ているのを見つけた。金ができて購入したのかと思って聞くと、それは御父様が別のふろしき包みに入れて、そっと渡してくれたものだという。
「だけどさ、こいつも線香の匂いがするんだよね」
友人は、服を着たまま二の腕の辺りに鼻を寄せ、一瞬顔をしかめてみせた。
寝袋で寝るのは、何も山だけに限ったことではない。畳の上でも、寝袋を使うときがある。松江で一軒の小さな家を借り、友人と住んでいた頃のことだ。いきなり寝袋が必要になった。
夜遅く、友人といっしょにアルバイトから帰ってみると、驚くべき光景に遭遇した。
「今朝って、はれてたよな」
たしかによく晴れていたのである。私は陽のあたる窓枠にふとんをかけて、外出したのであった。ところが夕方から大振りの雨が降り出し、だんだんと雨足は強くなった。目の前にある私のふとんは、たたきつけるような雨の下で、窓枠から半分ずれ落ち、暗く濡れた地面の上にころがっていた。
それを見た友人は、
「俺、無精で良かったなあ」
と安心したため息をもらした。彼は、ふとんなど干したことがなかったのだ。
しかし、さすがに友人である。びしょぬれのふとんを目の当たりにすると、私のことがふびんにおもえたらしい。押入れから奇妙な黒い袋を取り出すと、
「おい、これで寝られるぞ」
と、手渡してくれた。
それは、まだ新しい寝袋であった。
その晩、畳の上にじかに寝袋を敷いて横になると、窓の外からきこえてくる雨だれの音が、なんともわびしく聞こえたものだ。私は友人の好意に感謝した。だが、ちょっと気になったのは、その寝袋から妙な香りがただよってくることであった。清楚で、上品な、なんともいえぬ香りである。
「平安貴族が衣類に焚き染めたような香りだ」
と、私は横になりながら思った。それは、寝袋の中で姿勢を変えたり、身体の向きを変えようとするたびに、強く香ってくるのであった。
翌朝、その件について問いただしてみると、友人は
「それさ、仏間の押入れにしまってあったから」
と答えた。
それで合点がいった。寝袋から感じる奇妙な香りは、お線香の香りであったのだ。
友人は、ある宗教家のもとに生まれ育った。四国にある実家は大きなお寺で、檀家から寄付された物品があれこれと届いたらしい。したがって、彼はいつも金はなかったが、そのかわりいろいろと、物を持っていた。寄進されたそれらのものは、しばらくの間、仏さまの鎮座される部屋の一隅に、奉納という形で置かれるのだという。友人は、私が渡した寝袋を顔の前に持っていくと、丁寧に匂いを嗅ぎ、
「うーん、仏間に長く置きすぎたな。線香の匂いがとれないや」
といって、そのまま開いていた押入れに投げ込んだ。
その友人の父親が、下宿の様子を見に来たことがある。
お父様は、牛肉をたっぷりとおみやげに持ってきてくださった。
なにしろ、宗教家である。私は、いくぶん緊張気味になった。
お父様は、べつに神がかり的な格好ではなく、ごく普通の服装で玄関に現れた。私は、山伏のように金剛の錫を持ち、いくつも房をつけた特別な衣装でいらっしゃるのでは、と想像していたため、多少がっかりしたのであった。
御父様は、予想外によくしゃべった。
頂き物を目にしているので私は正座を崩さず、言われることにいちいち、ごもっとも、というふうにうなずいていた。御父様は独自の教育哲学を語り、運命論をぶちあげ、さらには山登りの諸注意をアドバイスしてくださった。同居人である息子の方をみると、これも手土産のウイスキーを、ちびりちびりと嘗めながら聴いている。その息子がかすかに眠りかけようとすると、私は彼の肩肘をつついたりしながら、持論をご披露して下さるお父様の顔と、そのよく動く口を見つめていた。
友だちの父親に会うのは、妙な心もちがする。それは、私が父親に対してある決まった印象を抱いているからかもしれない。自分の父親のことだってよくわからないのに、友人の御父様となると、なお一層、正体のつかめない心地がするのだ。そのような方にお目通り叶うのはいいが、言葉を交わすとなると、ちょっと畏れ多い気もする。
四国から、牛肉とウイスキーを持参して、息子の様子をみにきた御父様は、長い弁舌のあとはぐっすりとお休みになった。翌朝も、別に朝の水垢離をとることもなく、裃をつけて榊を振ったり、熱心に神仏に祈ることもせず、平凡なあくびをひとつすると、松江駅からごく普通にお帰りになった。
その後、友人が新しい服を着ているのを見つけた。金ができて購入したのかと思って聞くと、それは御父様が別のふろしき包みに入れて、そっと渡してくれたものだという。
「だけどさ、こいつも線香の匂いがするんだよね」
友人は、服を着たまま二の腕の辺りに鼻を寄せ、一瞬顔をしかめてみせた。