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わたしのまわりの友人たちに、ちょっと変わった人たちがいるが、一人が先日電話をかけてきて、
「ともかく、体温をあげにゃいかん」
と力説していた。
わたしがこのところイベント続きで忙しく、ついうっかりとその電話口で、
「ちょっと身体が疲れた」
などと、口走ってしまったからである。
その男は体調の管理に関してなかなかに口うるさく、わたしの親や嫁さんよりも私の体を心配してくる。
「お前な、子どもに向き合うには、一に体力、二に体力、だぞ」
と言う。
たしかにその通りだと思うのだが、彼は電話口で矢継ぎ早に指示命令を下し、わたしがメモしたかどうかまで、怪しんで確認してくる。
最初、いい加減に聞いていると、なるほど、と思ったことが少しあったので、
「それはいいことを聞いた。ありがとう」
と、余計なことを言ってしまったのがいけなかった。
その後、15分は彼の講義を聞いたのだが、惜しいことに今現在、そのすべてを私は忘れてしまった。
ただ、ついさきほど家庭の風呂に入っていて、少しばかり、思い出すことに成功したので、今夜はそれを書き留めておく。
彼はいったい、どこでその奥義を会得し秘匿するに至ったのであろうか。
「どうだ。これでお前は健康になるはずだ」
「わかった。ありがとう。ところでどのアドバイスも的確過ぎて心の底から勇気づけられたよ。まるで仙人のようなアドバイスだった」
「いや、俺は仙人をめざしている」
彼がその後言うには、実際に500年以上生きた人間がいるらしく、つい最近まで、250歳ほどの人間も存命していたらしい。
「そりゃ、なにかの間違いではナイか?」
「いや、おれは独自の健康法を編み出し、ただいま実践中だが、すこぶる健康になった。おそらくその記録も塗り替えられるだろう。ただし、俺はギネスには載らない。インタビューが面倒だからな。あと200年生きるとなると、こうしてはおられん。じゃ、俺は薬草の研究で忙しいから、これで」
さて、先のアドバイスの4番目にあったように、
わたしは家の風呂につかるうち、体のあちこちに、あったまかったかどうか、確認して聞いてみたが、弱ったことに返事が聞こえない。
足首や太もも、肩甲骨に聞いてみたが、
「・・・」
返事がない。
「おうい。あったまったのか?」
「・・・」
つまり、自分の体があったまったのかどうか、実のところ、なんだかさっぱり分からないのである。
ただ、体の表面は熱いような気がするし、ほてって暑いから、風呂を早く出たいのだが、もし体の芯が今ひとつであったらどうしよう、と判断がつかないのである。
そこで、風呂に出たり入ったり、出たり入ったり、意味も無く鏡を見つめてみたり、自分に話しかけてみたりと、ずいぶん時間を浪費してから風呂を出た。
すると脱衣場の扉を開けた嫁がたったひとこと、
「あッ、生きてたーー!」

わたしのまわりの友人たちに、ちょっと変わった人たちがいるが、一人が先日電話をかけてきて、
「ともかく、体温をあげにゃいかん」
と力説していた。
わたしがこのところイベント続きで忙しく、ついうっかりとその電話口で、
「ちょっと身体が疲れた」
などと、口走ってしまったからである。
その男は体調の管理に関してなかなかに口うるさく、わたしの親や嫁さんよりも私の体を心配してくる。
「お前な、子どもに向き合うには、一に体力、二に体力、だぞ」
と言う。
たしかにその通りだと思うのだが、彼は電話口で矢継ぎ早に指示命令を下し、わたしがメモしたかどうかまで、怪しんで確認してくる。
最初、いい加減に聞いていると、なるほど、と思ったことが少しあったので、
「それはいいことを聞いた。ありがとう」
と、余計なことを言ってしまったのがいけなかった。
その後、15分は彼の講義を聞いたのだが、惜しいことに今現在、そのすべてを私は忘れてしまった。
ただ、ついさきほど家庭の風呂に入っていて、少しばかり、思い出すことに成功したので、今夜はそれを書き留めておく。
1)疲労をなくすには、体温をあげにゃいかんこと
2)そのためには、じっくりと風呂につかること。
家庭の風呂ではじっくり浸かるのがむずかしかろう。
そういう場合には、近くの温泉やスーパー銭湯に行くがよい。
そこには食事処もあれば、無料の飲み水もあり、寝転んでくつろぐだけの専用スペースもある。
半日もすごすうちに、何度もおかわりをするように、のんびりだらだらと風呂に入れるであろう。
3)トクホンやらサロンパスなどは決して貼るな。金がかかるし癖になる。
貼らないとよけいにだるいような気がしてきてしまう。
今日は貼っていないから疲れやすい、と良くない言い訳を考えるようになる。
4)風呂に入ったら、体があたたまったのかどうか、自分の体のあちこちに聞け。
「どう?足首さん。あったまった?」
その返事を聞け。
5)食い過ぎるな。ひと口、ひと品、じっくり食え。
彼はいったい、どこでその奥義を会得し秘匿するに至ったのであろうか。
「どうだ。これでお前は健康になるはずだ」
「わかった。ありがとう。ところでどのアドバイスも的確過ぎて心の底から勇気づけられたよ。まるで仙人のようなアドバイスだった」
「いや、俺は仙人をめざしている」
彼がその後言うには、実際に500年以上生きた人間がいるらしく、つい最近まで、250歳ほどの人間も存命していたらしい。
「そりゃ、なにかの間違いではナイか?」
「いや、おれは独自の健康法を編み出し、ただいま実践中だが、すこぶる健康になった。おそらくその記録も塗り替えられるだろう。ただし、俺はギネスには載らない。インタビューが面倒だからな。あと200年生きるとなると、こうしてはおられん。じゃ、俺は薬草の研究で忙しいから、これで」
さて、先のアドバイスの4番目にあったように、
わたしは家の風呂につかるうち、体のあちこちに、あったまかったかどうか、確認して聞いてみたが、弱ったことに返事が聞こえない。
足首や太もも、肩甲骨に聞いてみたが、
「・・・」
返事がない。
「おうい。あったまったのか?」
「・・・」
つまり、自分の体があったまったのかどうか、実のところ、なんだかさっぱり分からないのである。
ただ、体の表面は熱いような気がするし、ほてって暑いから、風呂を早く出たいのだが、もし体の芯が今ひとつであったらどうしよう、と判断がつかないのである。
そこで、風呂に出たり入ったり、出たり入ったり、意味も無く鏡を見つめてみたり、自分に話しかけてみたりと、ずいぶん時間を浪費してから風呂を出た。
すると脱衣場の扉を開けた嫁がたったひとこと、
「あッ、生きてたーー!」
