モンスターというのは居ない。
想像上の動物なんであって、現実にはいません。

というと、
「いや、いる」
という人もある。
どうやら、その人の世界には、居るよう。

しかし、現実にはいない。
「いるんだ」、という人だけに、見える。
それが、モンスター。

さて、うちのクラスにいる、ちょっと教師を舐めてる感のある子。
前の担任から、

「この子がいちばんのガンです」

・・・なんて、ひどい言われようでした。

この子に対して、わたしは最初から、

〇〇くん、〇〇くん、と親しく呼びました。

で、最初の日に、〇〇くんがいないとき、〇〇くんを褒めました。
クラスの皆の前で、かなりハッキリと、褒めました。

すると、男子の一人が、

「すげえ、〇〇が褒められた」

と驚きのつぶやきをもらしていました。



〇〇くん本人は、そのことを知りません。
直接彼の前でそれを言ってもいいのです。
しかし、おそらく、その段階では、〇〇くんは、かならずそれを否定すると思います。
ほめられたことさえ、否定する、という心の状態があるのです。
ひとは、素直になっていないと、受け付けないのです。
ほめられても、けなされても。
その、どちらも、受け付けない。

ふたが開いていないので、そこに無理やりに言葉を流し込もうとしても、無理です。
だから、わたしは本人の前で褒めない。
本人の前でほめるのは、ふたが開いてからです。


4月。わたしは、〇〇くんを少しずつ、気にして暮らします。
〇〇くんをよく見るし、目を合わせる。にこり、とする。
本当は120%くらい、気にしているのですが、そんな素振りは見せません。
クラスの中で、他の子よりも、ほんの少し、塩ひとつまみ分だけ、ちょっと気にするんです。


当然、その波長は、本人にも届くのですが、あまりにも微細なオーラなので、本人の苦にはならない。


その微細なオーラは、少しずつ、彼の心を開かせることになりますが、けっして彼を特別扱いすることはありません。彼をほめるときは、必ずだれか他の子と抱き合わせで、同時に褒めます。
単独で取り上げるのではなく、他の子と抱き合わせでいっしょに褒めるのなら、本人も否定しないからです。


べたべたしませんが、彼を大切に、大切にしていきます。
彼の意思のままに学級が動くようなことはさせませんが、彼の意思の、尊重できるところはしていきます。
意見があれば、最後まで聞きます。なるほど、と一定の理解を示します。
そこは他の子についても私の態度は同様なのですが、彼の意見はぜひ聞きたいな、という態度で、身を乗り出すようにして彼の意見を聞こうとするのです。

4月、5月のスタート時点で、そのように少し、塩ひとつまみ分だけ寄り添うこと。
教師が、笑顔を見せていくこと。
それだけで、表情がずいぶんやわらいでくる。

前年度の先生が、

「最近、彼の表情、いいですねえ」

と言ってくれます。



周囲のだれも、彼のことを

ガン

と思っていない、という環境が、〇〇くんの表情が良くなる唯一の原因だと思います。



ガンだと見なければ、ガンにならない。
ガンだとみると、ガンになる。

これまた、美しい逆説でありますね。

この逆説のことを、『認知の逆説』と言います。

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