.
ブログを書き続けて、はや幾年。
毎日のように、同じことを書き続けている。
先日、20代のころからの仲間と会ったので、いろいろと話すうちに、さらに強く思ったのが、
「昔から、自分の内面は、まったく変わらない」
ということ。
進化しているか、というと、まったく進化していない。
「なにひとつ、変わらない」というと、友達は、
「いや、そんなことないでしょう」
と言ってくれたけど、そら、年をとれば外見も変わるし、ふてぶてしさも身につくし、疲れやすくなったり、目にクマができたり、と変わることもある。
だけど、内面はまーーーーーーーーったく、進化なし。
本を読まないし、メディアにも興味が無く、ただひたすら、職場と自宅を往復するだけの毎日で、内面が変わるわけもないか。
これだけ進化をみせないで十何年もすごせちゃうなら、このまま老人になるのではないか、と思う。
で、ぶれない、という話。
「叱らないでも いいですか」
これ、まったく同じことを、最初からずっと思い続けているのが、変わらない。
最初は甘い考えだ、と思っていた。
「5年もすりゃ」
と、自分でも思ってた。
「そのうち、ベテラン先生のように、ガミガミ叱るようになるだろうな」
そして、
「いろんなことも分かるから、きっと今だけなのだろう。叱らないでも・・・なーんて、言って遊んでるのは・・・」
ところが、5年過ぎても、同じことを思い続けていたから驚いて、
「あれ?同じこと考えて、いつの間にか、5年すぎちゃった」
おそらく、この教員人生のなんたるか、子どものなんたるかを、まだまだ分かっていないのだろう。
授業進めるのにも必死になってるし、研究授業もまだまだ無難なところばかりやってるし、ぜんぜんなんだろうな。
そのうち、いろいろなことが分かってくるだろう。
そのうち、「叱らないでも」なんて、言わなくなってるんだろうナ。
ところが、もうすぐで10年近くになるのに、いまだに、まったく何の進化もしない。
ずーーーっと、
「叱らないでもいいですか」
の、まんま。
おいおい。(←自分にツッコミを入れる)
今年、なにか別のことが見えてくるのだろうか?
ブログを書き続けて、はや幾年。
毎日のように、同じことを書き続けている。
先日、20代のころからの仲間と会ったので、いろいろと話すうちに、さらに強く思ったのが、
「昔から、自分の内面は、まったく変わらない」
ということ。
進化しているか、というと、まったく進化していない。
「なにひとつ、変わらない」というと、友達は、
「いや、そんなことないでしょう」
と言ってくれたけど、そら、年をとれば外見も変わるし、ふてぶてしさも身につくし、疲れやすくなったり、目にクマができたり、と変わることもある。
だけど、内面はまーーーーーーーーったく、進化なし。
本を読まないし、メディアにも興味が無く、ただひたすら、職場と自宅を往復するだけの毎日で、内面が変わるわけもないか。
これだけ進化をみせないで十何年もすごせちゃうなら、このまま老人になるのではないか、と思う。
で、ぶれない、という話。
「叱らないでも いいですか」
これ、まったく同じことを、最初からずっと思い続けているのが、変わらない。
最初は甘い考えだ、と思っていた。
「5年もすりゃ」
と、自分でも思ってた。
「そのうち、ベテラン先生のように、ガミガミ叱るようになるだろうな」
そして、
「いろんなことも分かるから、きっと今だけなのだろう。叱らないでも・・・なーんて、言って遊んでるのは・・・」
ところが、5年過ぎても、同じことを思い続けていたから驚いて、
「あれ?同じこと考えて、いつの間にか、5年すぎちゃった」
おそらく、この教員人生のなんたるか、子どものなんたるかを、まだまだ分かっていないのだろう。
授業進めるのにも必死になってるし、研究授業もまだまだ無難なところばかりやってるし、ぜんぜんなんだろうな。
そのうち、いろいろなことが分かってくるだろう。
そのうち、「叱らないでも」なんて、言わなくなってるんだろうナ。
ところが、もうすぐで10年近くになるのに、いまだに、まったく何の進化もしない。
ずーーーっと、
「叱らないでもいいですか」
の、まんま。
おいおい。(←自分にツッコミを入れる)
今年、なにか別のことが見えてくるのだろうか?