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負けることに我慢ならない時がある。
子どもの頃、姉とおやつの取り合いで、じゃんけんに負けると、本当に頭がおかしくなるくらいに口惜(くや)しくなった。
たとえば、「かっぱえびせん」。
ひと袋を半分に分ける。
慎重に、均等に分けたあと、さらにじゃんけんをして決めた。
ほんの数グラムの違いだったろうが、敵の方が多いと見積もると、悔しくてくやしくて、自分のじゃんけんの弱さを嘆いたものだ。
負けた、となると、どうしてああも、悔しくなるのだろうか。
あの、全否定された感覚。
人生そのものから、拒否されたような感覚。
あたかも、
「お前には、勝たせないよ~だ」と、
全能の神から、いじわるされた気分。
そして、絶望と、虚無感・・・。
なぜ、負けると、人間はこうも虚しさに包まれて、不足感に苛まされるのだろう?
相手が、勝った勝った、と喜ぶ姿を見るとなおさら、だ。
向うが得意げな顔になって、「してやったり」とほくそ笑む顔をみると、どうしてこうも胸がかきむしらられるほどに、せつなくて、くるしくて、さみしくなるのだろう?
こういうこと、なぜ?と考える人は、少ないかもネ。
しかし、人間である以上、なぜ?と考えていくのが、通常の神経だと思う。
だって、自分の中身が不思議な状態のまま、それをほっておくのって、勇気が要るでしょう。
自分の心のあり様をちっとも考えないまま、何年もほうっておく?
これ、子どもたちと考えたいねえ。
写真は、オリンピックのメダル(半分ずつ)。

負けることに我慢ならない時がある。
子どもの頃、姉とおやつの取り合いで、じゃんけんに負けると、本当に頭がおかしくなるくらいに口惜(くや)しくなった。
たとえば、「かっぱえびせん」。
ひと袋を半分に分ける。
慎重に、均等に分けたあと、さらにじゃんけんをして決めた。
ほんの数グラムの違いだったろうが、敵の方が多いと見積もると、悔しくてくやしくて、自分のじゃんけんの弱さを嘆いたものだ。
負けた、となると、どうしてああも、悔しくなるのだろうか。
あの、全否定された感覚。
人生そのものから、拒否されたような感覚。
あたかも、
「お前には、勝たせないよ~だ」と、
全能の神から、いじわるされた気分。
そして、絶望と、虚無感・・・。
なぜ、負けると、人間はこうも虚しさに包まれて、不足感に苛まされるのだろう?
相手が、勝った勝った、と喜ぶ姿を見るとなおさら、だ。
向うが得意げな顔になって、「してやったり」とほくそ笑む顔をみると、どうしてこうも胸がかきむしらられるほどに、せつなくて、くるしくて、さみしくなるのだろう?
こういうこと、なぜ?と考える人は、少ないかもネ。
しかし、人間である以上、なぜ?と考えていくのが、通常の神経だと思う。
だって、自分の中身が不思議な状態のまま、それをほっておくのって、勇気が要るでしょう。
自分の心のあり様をちっとも考えないまま、何年もほうっておく?
なんで、負けるとくやしいのか。
これ、子どもたちと考えたいねえ。
写真は、オリンピックのメダル(半分ずつ)。

強い感情を伴う方が記憶に残る。→
同じ失敗を繰り替えさない。
・勝ち目が無ければ悔しくても我慢する・違う土俵(分野)で勝負する→
生存率が上がる。