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「このままではまずいと思うので、頑張りたい」

日記には、その子の思っていることの一部が見え隠れする。

単純に、がんばって〇〇できるようになりたい、ではないのです。

このままではまずいと思うので

が気になる。



今の社会は、『がんばって克服するのが大事、と思うことになっている文化』、なのでしょう。
だから、この文化で育つ子どもも、自然にそういう思考になる。

「できないと苦労する、苦労するからいけない
 〇〇してはいけない、〇〇しなければいけない
 今のままでいけない」


結局、今のままではいけないから、努力して克服する、と強く思うことが、
生きるモチベーション、ということになっている。
これは、教師など大人の側の常識。
みんな、克服、というモチベーションの持ち方以外に、意欲のわいた経験がない、ということかもしれない。教師にとっても、「人生は克服するのが大事」となってるのだから、子どももそうなる。

ただし、
問題が山積み⇒克服⇒達成感を感じる⇒問題を探す⇒(以下ループ)
これが人生ってことでOKなのか?


↑ これで死ぬ寸前に人生を振り返ったら、

「ああ、問題に対処してばかりだったなあ」

で終わりそうだ・・・。


克服するための音楽会、克服するための運動会、克服するための算数、克服するための読書、
克服する修学旅行、克服する跳び箱、克服する人間関係 ・・・


なぜ克服すべき、と思うのだろうか。
なぜ、この見方になっていくのだろうか。
そうとしか、見えてこないのは、なにかがおかしい?
スポーツだって、本来、克服するためのもの、ではないはずだが・・・。


そんなこといったって、いまだに人類は戦争をやっているじゃないか。
克服すべきことは、山のようにあるはずだ!だから『克服』!!

↑ 
人生の動機が「問題の克服」、となってる。「克服」しなきゃならん、というメンタルだから、克服できない、というパラドックス。

克服、という言葉を人類が使わないようになる世界を想像できれば(イマジン)、
問題は、そもそもまったく違うものになっていると思う。


目的は子ども5