.
高市早苗さんに、果物を贈ろう。
今なら、おいしいイチゴがとれる。

おいしい、腹が満たされる、
心まで満たされる、本当に手づくりの、心のこもったおいしいものを
贈ってあげたい。



冷たい声をかけるのではない。

あたたかく、あたたかく、じわーっと、

こころを溶かすように、接することだと思う。


美味しそうに、心づくしのイチゴをほおばる高市早苗さんを想像してみよう。

そして、イチゴの甘酸っぱい味に目を閉じて、頬をほころばせ、それから、
やさしい笑みを浮かべて、

嘆息まじりに遠くの山の緑を眺め、
静かな、静かな時間を過ごす、

そんな高市早苗を想像してみよう。




責めるのは、もう、やめよう。

悪い人ではない。





小学校でも、居場所が無くなるくらい、子どもを叱ることは、ない。
きちんと、逃げ道を用意する。

2度、3度、とくりかえして、反省の色が見えない子にも、やはり、次の道は用意する。

子どもだから、というのではないよ。
人だから。

ひと、人間、にんげんだもの。
心の底から悪い人間なんていないので。




高市早苗さんは、 「やせ馬に、荷が勝ちすぎた」ケースでしょうか。


愛されなかった犬は、この世を恐れてよく吠える。
見かけの強さを欲する。

「愛」を知らないからこそ、「力」にあこがれてしまう。
この理屈は単純でしょ?


見かけだけの、分かりやすいものに、惹かれてしまう、という、その意味は
みんな、だれしも、よく分かることだ。

心が不安でいっぱいだったら誰でもそうなる。

高市早苗が人生を通して、幼い頃からずっと抱きつづけてきた大きな不安に焦点を当てずして、解決することは何もないだろう。

「もし、一切の怖れが無かったなら、あなたの願いは何?」

高市早苗に、聞いてみないと。




愛とは何?

何よりも、彼女が国民の声を聴く、という姿勢になるのは、

周りからの愛を、自分が愛されていることを、
きちんと理解してから、だと思う。



高市早苗さんの政治的な思い(思考の癖)を覆させるのは、おそらく無理でしょう。

高市さんの頭の中の、ことなので。

しかし、もともと同じ人間。
お互いを理解しあうことで、お互い「人の心」を、「人の心」にもどすのは、案外、できる話かもしれない。




みんなで、おいしい果物を贈ろう。自民党に贈ろう。

高市早苗さんに贈ろう。

そんな気分になった、選挙間近の夜。

IMG_1753