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落語歴30年以上だから、このくらい言ってもゆるされるやろ。
「中高生は、落語を聴け!」
その理由は、耳に残るから、である。
いつまでも、残る。
たぶん、死ぬまで、残りつづける。
こんな残り方は、中高生でとことん聞きまくった状況でないかぎり、ありえないだろう。
なぜ、中高生のときの映像は、いつまでも生きているように、記憶に残るのだろうか。
わたしは、米朝が舞台上で
「還暦を迎えまして」
と言ったのを間近で見た。
「算段の平兵衛」という、ひときわ長い噺で、体力の要る舞台だったと思うが、米朝はノリにのっていて、絶好調だった。
わたしは還暦の爺さん、というのはよぼよぼのイメージだったのだが、米朝は枕のボケもギャグも新鮮で、ウケに受けていたから、やっぱ落語は爺さんに限るな、と帰り道に歩きながら合点したものだ。
今からすれば、還暦なんてまだまだ若手だ。
わたしは、たちまち、米朝のファンとなった。
ファンになって一番困ったのが、新聞の見出しをみて、ドキッとすることである。
新聞の一面に、黒々とでかく、トップの見出し!
朝一番に、
とか真っ黒のでかい見出しの字を見ると、本当に心臓がとびだしそうなほど驚いた。
いったい、米朝師匠がだれと会談したのか!?
まさか関西圏を飛び出して、円楽さんと日テレ「笑点」にでるなんて話してないだろうな・・・。
ところが大体、新聞のトップ一面に載った「米朝」は、米朝師匠のことではないようだったので、がっかりしたものだ。
いまだに、アメリカを「米」と書くことには、ずいぶん違和感がある。
(北朝鮮を「朝」と略すのも、いい加減やめてほしい)
***
中高生のころ、学校の勉強はそっちのけ、全精力を落語に傾けていた時期、おそらく脳みそが特殊に開発されたとしか思えないが、今でも当時のギャグや声の調子、枕の小噺など、すべて脳裡によみがえってくる。
いつでも無料で動画が見られるようなものだ。
いってみれば、すっかり脳みそに永久保存されているわけ。
わたしは、ひまなとき、ふと目をとじる。
そして、頭の中で、チャンネルを合わせる。
「きょうは、えっと・・・、米朝にしようかな。話は・・・、そうだなあ、池田の猪買いか、皿屋敷か・・・」
すると、自動的に再生がはじまり、映像がスーッと流れていく。
で、飽きない。
なぜかというと、同じ話をきいても、発見があるからで、2回目には見えなかったことが、3回目に見えてきたり、10回目に見えてきたり、100回目に
ハッ!!
とすることもあるからで、こうなったら、私の人生に、もはや、新作は要らない。
よく、ビデオレンタルなんかで、新しい映画の新作を次々に借りる人がいる。
私の嫁様も、よくハリウッド映画の新作を借りて来て見ているが、わたしは見ない。
なぜなら、そんなものを見ている暇はなく、時間の余裕がないからである。
忙しい中でも、暇をみつけては、落語を見なければならないからである。
カーナビのハードディスクに、小三治さんの落語がかなりつめこんであって、わたしはそればかり聞いている。たまに嫁様が同乗するときに小三治の音声が流れると、
「うわっ!またこれ聞いてる!・・・ったくもぅ、同じのばっかりで飽きないの?」
と、本当に呆れたように言われるけど・・・。
でもね、飽きないのですわ。
舞台の落語もいいけど、
音声で聞く落語や、脳内再生する落語はね、
ここでこんなふうに、とか、
ここの言い回しはもっとこう、とか、
声をはるところ、
ぼそっというところ、
間延びしたこえでとぼけたようにいうところ、
おかみさんが極端に下手に出る言い方とか、
わざと丁稚がカン違いして言うところとか、
聴きながら、どんどんと、
工夫をして、
聞くのですよ。
だから、忙しい!
だから、一度聞いたくらいじゃ、消化できない!!
何度も聞かないと、分からない!!
したがって、おんなじ噺を、
何度も何度も何度も何度も、くりかえしくりかえし、
聴くことになるのです。
当然、世間の話題に疎くなります!
ざんねん!
なんで、こんな趣味嗜好になっちまったんだ?
はっ、きっと米朝のせいだ。ちっくしょう!
あいつの落語をきいたせいで、こんなことに・・・
いや、
米朝師匠の、おかげですね。
おかげで、カネのかからん趣味が手に入りましたから。
ありがたい!
米朝師匠、安らかに。合掌。

写真は、一昨年夏の「米朝展」。
落語歴30年以上だから、このくらい言ってもゆるされるやろ。
「中高生は、落語を聴け!」
その理由は、耳に残るから、である。
いつまでも、残る。
たぶん、死ぬまで、残りつづける。
こんな残り方は、中高生でとことん聞きまくった状況でないかぎり、ありえないだろう。
なぜ、中高生のときの映像は、いつまでも生きているように、記憶に残るのだろうか。
わたしは、米朝が舞台上で
「還暦を迎えまして」
と言ったのを間近で見た。
「算段の平兵衛」という、ひときわ長い噺で、体力の要る舞台だったと思うが、米朝はノリにのっていて、絶好調だった。
わたしは還暦の爺さん、というのはよぼよぼのイメージだったのだが、米朝は枕のボケもギャグも新鮮で、ウケに受けていたから、やっぱ落語は爺さんに限るな、と帰り道に歩きながら合点したものだ。
今からすれば、還暦なんてまだまだ若手だ。
わたしは、たちまち、米朝のファンとなった。
ファンになって一番困ったのが、新聞の見出しをみて、ドキッとすることである。
新聞の一面に、黒々とでかく、トップの見出し!
朝一番に、
「米朝緊急会談実現」
とか真っ黒のでかい見出しの字を見ると、本当に心臓がとびだしそうなほど驚いた。
いったい、米朝師匠がだれと会談したのか!?
まさか関西圏を飛び出して、円楽さんと日テレ「笑点」にでるなんて話してないだろうな・・・。
ところが大体、新聞のトップ一面に載った「米朝」は、米朝師匠のことではないようだったので、がっかりしたものだ。
いまだに、アメリカを「米」と書くことには、ずいぶん違和感がある。
(北朝鮮を「朝」と略すのも、いい加減やめてほしい)
***
中高生のころ、学校の勉強はそっちのけ、全精力を落語に傾けていた時期、おそらく脳みそが特殊に開発されたとしか思えないが、今でも当時のギャグや声の調子、枕の小噺など、すべて脳裡によみがえってくる。
いつでも無料で動画が見られるようなものだ。
いってみれば、すっかり脳みそに永久保存されているわけ。
わたしは、ひまなとき、ふと目をとじる。
そして、頭の中で、チャンネルを合わせる。
「きょうは、えっと・・・、米朝にしようかな。話は・・・、そうだなあ、池田の猪買いか、皿屋敷か・・・」
すると、自動的に再生がはじまり、映像がスーッと流れていく。
で、飽きない。
なぜかというと、同じ話をきいても、発見があるからで、2回目には見えなかったことが、3回目に見えてきたり、10回目に見えてきたり、100回目に
ハッ!!
とすることもあるからで、こうなったら、私の人生に、もはや、新作は要らない。
よく、ビデオレンタルなんかで、新しい映画の新作を次々に借りる人がいる。
私の嫁様も、よくハリウッド映画の新作を借りて来て見ているが、わたしは見ない。
なぜなら、そんなものを見ている暇はなく、時間の余裕がないからである。
忙しい中でも、暇をみつけては、落語を見なければならないからである。
カーナビのハードディスクに、小三治さんの落語がかなりつめこんであって、わたしはそればかり聞いている。たまに嫁様が同乗するときに小三治の音声が流れると、
「うわっ!またこれ聞いてる!・・・ったくもぅ、同じのばっかりで飽きないの?」
と、本当に呆れたように言われるけど・・・。
でもね、飽きないのですわ。
舞台の落語もいいけど、
音声で聞く落語や、脳内再生する落語はね、
ここでこんなふうに、とか、
ここの言い回しはもっとこう、とか、
声をはるところ、
ぼそっというところ、
間延びしたこえでとぼけたようにいうところ、
おかみさんが極端に下手に出る言い方とか、
わざと丁稚がカン違いして言うところとか、
聴きながら、どんどんと、
工夫をして、
聞くのですよ。
だから、忙しい!
だから、一度聞いたくらいじゃ、消化できない!!
何度も聞かないと、分からない!!
したがって、おんなじ噺を、
何度も何度も何度も何度も、くりかえしくりかえし、
聴くことになるのです。
当然、世間の話題に疎くなります!
ざんねん!
なんで、こんな趣味嗜好になっちまったんだ?
はっ、きっと米朝のせいだ。ちっくしょう!
あいつの落語をきいたせいで、こんなことに・・・
いや、
米朝師匠の、おかげですね。
おかげで、カネのかからん趣味が手に入りましたから。
ありがたい!
米朝師匠、安らかに。合掌。

写真は、一昨年夏の「米朝展」。