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テロ事件に関する写真を、小学校の教室で見せたことで、

「命に関わるような重大な写真を見せるとは何事か」

と批判されている教師がいたらしい。ニュース記事になった。
テレビ番組で、コメンテーターが、何たる教師だ、とんだことをしてくれた、と憤慨していたようだ。

その一方で、命に関わることが少なすぎて、子どもたちにリアルな命について考えさせる機会がなくなっている、と指摘するコメンテーターもいる。小学校現場があまりにも無菌状態なので問題だ、とのこと。

「命を回避する現場の空気が、子どもたちから命の尊さを学ぶ機会を奪っている」

ということだそうで。


どっちにせいっちゅうんじゃ!

・・・と思った、と同僚の先生が憤慨していたけど・・・。

テロ事件の写真は、命を考えるという題材ではなくてマスコミが大衆に向けて、いかに加工されたメッセージを出す可能性をもつか、という「情報教育」の一環で出された資料であって、まあこの場合はちょっとちがうと思うが、それをコメンテーターは、人の生死に関わるからダメ、と意見したのであった。

加工写真かどうかは別として、実際の写真を見せることは、小学校ではありえないだろうと思う。あまりにもリアルで、ショックだから。

それに、大人の世界では現実に殺人があり、政治的には大人は相当ひどいことをする存在だけれど、小学校では一応、

大人はまともです

ということになっているから、こういう写真を見せることは、何重にもはられたバリアを崩すようで、ショックの度合がひどすぎる。



大人って、実は、まともじゃないんじゃないの?


と、うすうす気づいている子たちは、その思考の行く先で、どこか着地点を探そうとするだろうね。

そういう子たちの前で、とりあえず、大人の顔をしていられるのは、

「そもそも人間の思考はほとんどまともでない」
「大人も事実を曲解することがほとんど」
「自信たっぷりの大人ほど胡散臭いものは無い」


ということを、もう明らかにしてしまう態度の大人だけだろうと思う。
学校の教室ではもうすでに、うすうす気づいてしまっている子どもたちを中心に話をしていかないと、実情に合わなくなってきている。

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