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わたしが、「叱らない」というのを面白がって、こういうところに書いているからか。
よくこんな意見・感想をもらう。

それは、

「だって、思わず子どもの言葉に、カッチーンとくることだってあるじゃない」

「そのときに、この怒りをコントロールするなんて、無理じゃない」


ということ。


どうやら、コントロールするものだ、と受け取られている?



怒りをコントロールしよう、とは、思わない。
おそらく、怒りとは、よく言われるような <表層の感情> なんか、ではないと思う。


だから、コントロールなんか、しない!!できない!!

そじゃなくて、
怒りを、みる!!


みる!
シラベル!


で、結果として、「怒り」は、現れなくなる。

出番がなくなっちゃう。でも、たぶん、舞台のそでには、きちんと存在している。そして、他のキャストたちといっしょに、観客からは見えないところでちゃんと休憩している。舞台袖で談笑しながら、ウーロン茶飲んでる。で、あまり出番がないんだけど・・・。だけど、出番がないからって、キャストからは、外されることはないし、誰からも苦にされない。そういう俳優さんが、「怒り」。(と、思う)。

その俳優さんが出てくるようになっているのに、というか、既に舞台に出ているのに、それを無理やりに、出てこないように押し戻すなんて、芸のないめちゃくちゃをやるから、つらいし、苦労するんで、そんなこと難しいに決まっている。



「だって、思わず子どもの言葉に、カッチーンとくることだってあるじゃない」

カッチーンとくるような・・・心の状態・・・だからネ。
それから、カッチーンときても、べつにいいんだし。
ただし、カッチーンときたところで、自分の願っていることや本心が何なのか、分からないままだ。

やっぱり、「怒り」をきちんと調べて、究明してかないと。
これをずっと思っている。
「怒り」をシラベル。
これないと、何しても、また戻ってくる。ぐるぐる回ってばかり。
「叱らない」も、本当のところは、ほとんど伝わっていかない。


↓ 「だれか、一粒、食ったなッ!!!(怒)」

ナイアガラ