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算数は、1学年につき、大体、全部で12くらいの単元がある。
1学期ごとに、3,4つくらいの単元をこなすのが普通です。
さて、7月1日、今日でまた、1つの単元が終わりましたので、わたしは単元のテストを実施しました。
テストを実施したあと、1日だけ、算数は、教科書をお休みします。
そして、うんとむずかしい、算数の難題を出すことにしています。
「先生ー、テスト終わったから、今日は難題でしょう?」
子どもたちにも伝えてあるので、そのつもりにしています。
わたしは、これはとうてい、解けそうもないだろう、というような文章題を出します。
ぜったい解けないよ、といってあきらめる子もたくさんいるので、
そういう子たちのためには、またちょっと毛色の違う、おもしろ問題を用意しておいて、
「この問題が難しすぎる子は、こっちのおもしろ問題をやってね」
ということにしておく。
ところで、難題なのですが、おどろくことは、その中学生が解くような方程式を、
なんとかして、解いてしまう子がいる、ということです。
クラスでも、1人か2人ですが。
あとの休み時間になって、
「先生、さっきのでけた!」
と持ってくる子もいます。
こういうとき、子どもはまったく、いつもの感じではなくなります。
なんともいえない、充実感を漂わせているし、こちらが素直に
「できたの??!」
と驚いていることに、自慢するでもなく、間違ったらどうしようと不安になるでもなく、
純粋に、「どうかな?あってた?」と、もってくる。
子どもの可能性というのは、すごいなあ、と感心する。
それと、学校というのは、ふだん、
「迷ったり困ったりすること」
を、極力排除している、のだな、と思います。
さらに、それはとてもいいことなんだろう、と思います。
大多数の子が、算数ができるようになり、わかるようになっていくのは、やはり教え方が長年の教育研究によってかなり工夫されている、ということなのだろうし、大多数の子が苦労せずとも、学校の短時間の学習だけで、できるようになっている、ということは、すごいことです。
また、算数に苦手意識を持つ子は、このことで、心の底から、助かっているのでしょう。
ただし、たまに、
歯ごたえのある課題
が出た方が、いいのかもしれません。
そういう課題でこそ、脳みそが快感を覚える、という子が、少数ながら、いるのですな。
算数は、1学年につき、大体、全部で12くらいの単元がある。
1学期ごとに、3,4つくらいの単元をこなすのが普通です。
さて、7月1日、今日でまた、1つの単元が終わりましたので、わたしは単元のテストを実施しました。
テストを実施したあと、1日だけ、算数は、教科書をお休みします。
そして、うんとむずかしい、算数の難題を出すことにしています。
「先生ー、テスト終わったから、今日は難題でしょう?」
子どもたちにも伝えてあるので、そのつもりにしています。
わたしは、これはとうてい、解けそうもないだろう、というような文章題を出します。
ぜったい解けないよ、といってあきらめる子もたくさんいるので、
そういう子たちのためには、またちょっと毛色の違う、おもしろ問題を用意しておいて、
「この問題が難しすぎる子は、こっちのおもしろ問題をやってね」
ということにしておく。
ところで、難題なのですが、おどろくことは、その中学生が解くような方程式を、
なんとかして、解いてしまう子がいる、ということです。
クラスでも、1人か2人ですが。
あとの休み時間になって、
「先生、さっきのでけた!」
と持ってくる子もいます。
こういうとき、子どもはまったく、いつもの感じではなくなります。
なんともいえない、充実感を漂わせているし、こちらが素直に
「できたの??!」
と驚いていることに、自慢するでもなく、間違ったらどうしようと不安になるでもなく、
純粋に、「どうかな?あってた?」と、もってくる。
子どもの可能性というのは、すごいなあ、と感心する。
それと、学校というのは、ふだん、
「迷ったり困ったりすること」
を、極力排除している、のだな、と思います。
さらに、それはとてもいいことなんだろう、と思います。
大多数の子が、算数ができるようになり、わかるようになっていくのは、やはり教え方が長年の教育研究によってかなり工夫されている、ということなのだろうし、大多数の子が苦労せずとも、学校の短時間の学習だけで、できるようになっている、ということは、すごいことです。
また、算数に苦手意識を持つ子は、このことで、心の底から、助かっているのでしょう。
ただし、たまに、
歯ごたえのある課題
が出た方が、いいのかもしれません。
そういう課題でこそ、脳みそが快感を覚える、という子が、少数ながら、いるのですな。