「お店に文句を言った方がいいよ!」

この言葉の真意は、お店の商品が思ったものとはちがった場合に出てくる。

で、当人が言ってるわけじゃなく、他の人が、当人に向けて、

「こうした方がいいよ」

というようなことを、しゃべっている、というわけ。


これ、コンビニの駐車場で、若い女の子が、その子のお母さんらしき人に、けっこうな勢いで、そういってたのを、たまたま店から出てきたワタクシが、聞いてしまったのね。

で、聞いていて、これってなんだろう、と思った。

なんで、その女の子は、その方がいい、と思ったのだろう。

そして、なんで、そのことを、お母さんに、言わずにおれなかったのだろうか?

そこのところ、深いものがありそうで、その女の子に、聞いてみたくなった。(聞かないけど)



わたしは今しがた、セブンイレブンで仕入れた100円のコーヒー(無糖)を一口だけのみながら、なんだか、今の言葉と、その勢いが、自分の頭の中で、

わーん、わーん、と響いているのを感じながら、

「なんだろうなあ?」

と、思う。



わたしゃ、めったに、

○○した方がいいよ!!

というようなことは、言わないから、なんだか、そういうセリフを聞くと、妙な感じがしてしまう。

大体、○○した方がいい、というようなことは、

「この世の中、そうめったにはないんじゃないか」

という気がしている。



わたしに向けて、職場の人や家族や誰かが、

「○○した方がいい」

ということを言った場合、自分はだいたい、こう思う。

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないし、いいかどうかは結局、だれにも分からないんだろうなあ」

その後、こう思う。

「そんでもって、ぼくという人間は、そう聞いたところで、そうするかもしれないし、そうしないかもしれないし、それはこの人の忠告(?)とはまるで別の次元で、結局のところは自分で勝手に、決めて行動するんだろうなあ」


自分自身が、こんなふうに、<煮ても焼いても食えないような感情と考え>でいるのだから。
まあ、仕方がないよね。
他の人はどうかしらないけど。

私はとりあえず、他の人に向かって、いくら勇気を振り絞っても、

「○○した方がいいよ」

とは、言わないんじゃないか、と自分で思う。


で、こういう人間が、教師をやっているせいで、


○人は言うことを聞かせられる存在である。

とか、

○怒れば言いたいことが伝わる。

とか、

○指示に従う子どもを育てるのが良い。

とか、

あまり思わないせいで、

教室でも、そういう言葉が、あまり、出てこないのであります。



とにもかくにも、関心があるのは、

「その子が何を願っているか」

ということに尽きますね。