1年生に、

「人生は、そんなあまいもんやおまへんで」

ということを教えるために、朝顔を育てるのではない。


だから、朝顔に、先生が水をやるのは、それはそれで、OK。

夕方、子どもたちが帰った後、水をやります。

なぜ帰った後かというと、子どもにばれるのは、一応、なんとなく、気まずいからで、

「君たちの朝顔だ、責任をもって育ててほしい!」

とか、

「水をやらないと、枯れちゃうよ~」

などと、ふだん、脅かしているからだ。



しかし、なにかの拍子に、見つかることがある。

学童保育かなにかの帰りらしいRくんと、夕方、ばったり出会ってしまった。

「あ、先生!」

おどろいて振り向くと、Rくんで、

「先生が、水やってくれてる!」

大声で叫んで、立ちすくんでいる。

ないしょでやっているのが、ばれてしまった。



本当の本当に枯れてしまうと、なんだか忍びないし、落ち着かないから、結局、ばれたってなんだって、ともかく夕方になると、水をやる。

「朝、みんなが水をやってくれているけど、それだけだと足りないから、先生が夕方、水やりをしています」

ということを公言しました。



すると、連絡帳に

「ありがたいです。本当にこのところの猛暑はすごいですよね」

と、保護者からの応援メッセージが続々と届く。

「朝顔が咲くのを楽しみにしています。夏休みには、花の数をかぞえるのでしょうか。わたしが子どもだったころの夏休みの宿題を、思い出して、今から楽しみにしています」


というお母さんもいる。


ところが、中には、

「甘くないってことも、ときには教えないといけないでしょう」

と真顔で言ったお母さんがいて、わたしはオドロキました。

「枯れたら枯れたで、本人の責任ですし」

だって。



ま、そうでもいいけど、・・・ま、わざわざ、枯らすこともないか、と。

それに、枯れた途端、

「ほら!!人生は、甘くないんだから!」

と教えたところで、それがそんなに、大切な教えなのでしょうか??

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