毎日、1年生(6歳か7歳)といっしょにいると、あれやこれやと、いろんなことを思うものだ。
最近、ふと思いついたのは、
ということ。
たとえば、人と人との間柄、関係について、かなり複雑な体験をする。
敵味方、という区別をするようになり、ずるいのはいけない、みんなで厳しくルールを作り、取り締まらないといけない、というような、公的権力の存在を認める発言が出る。
また、お互いの主張を譲らずに、「わたしが正しい」ということを主張したり、権力的な闘争をしたりするようになる。
だれかが、七夕の飾りを、やぶってしまった。
やぶった、とされた子は、
「わざとではない」
ことを主張する。
たまたま、手をのばしたら、当たってしまったのだ、という。
だから、私は悪くない、と言い張る。
やぶられた子は、わざとやぶられたのだ、ということを主張し、犯罪者を取締り(ひっとらえて)、裁判にかけ(先生に言いつけて)、処罰を受けさせようとする。
この闘いを、マスコミ(おしゃべりな女の子)がかぎつけ、スクープ(大声で廊下でみんなに知らせ、大事件だ)と騒ぎ立てる。
マスコミは、真実がどうか、というよりかは、ともかく、どちらの陣営が勝つか、ということに興味とエネルギーを注ぐ。
周囲が煽り立てるものだから、当人同士も、自分の素の気持ちなど忘れて、もうすっかりと、
勝つか負けるか
ということに終始するようになる。
さて、ここまで勝負にこだわれば、かならず、「勝つ」側と「負ける」側ができてしまって、これはもう、たいへんな
事件の引き金
を引いてしまうことになります。
最近、ふと思いついたのは、
○人生の諸問題は、6歳の時に、全員がいったん経験するのではないか
ということ。
たとえば、人と人との間柄、関係について、かなり複雑な体験をする。
敵味方、という区別をするようになり、ずるいのはいけない、みんなで厳しくルールを作り、取り締まらないといけない、というような、公的権力の存在を認める発言が出る。
また、お互いの主張を譲らずに、「わたしが正しい」ということを主張したり、権力的な闘争をしたりするようになる。
だれかが、七夕の飾りを、やぶってしまった。
やぶった、とされた子は、
「わざとではない」
ことを主張する。
たまたま、手をのばしたら、当たってしまったのだ、という。
だから、私は悪くない、と言い張る。
やぶられた子は、わざとやぶられたのだ、ということを主張し、犯罪者を取締り(ひっとらえて)、裁判にかけ(先生に言いつけて)、処罰を受けさせようとする。
この闘いを、マスコミ(おしゃべりな女の子)がかぎつけ、スクープ(大声で廊下でみんなに知らせ、大事件だ)と騒ぎ立てる。
マスコミは、真実がどうか、というよりかは、ともかく、どちらの陣営が勝つか、ということに興味とエネルギーを注ぐ。
周囲が煽り立てるものだから、当人同士も、自分の素の気持ちなど忘れて、もうすっかりと、
勝つか負けるか
ということに終始するようになる。
さて、ここまで勝負にこだわれば、かならず、「勝つ」側と「負ける」側ができてしまって、これはもう、たいへんな
事件の引き金
を引いてしまうことになります。
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