おそらく「体罰の会」にわが子を託したい、とねがう親は、子育てに絶望した方ではないか、と思う。

世の親が、一人でもその、「子育てへの絶望」を持ってしまう前に、地域コミュニティがやらなければならないことが無数にある。
「子育てへの絶望」を、その方の心に持たせてしまったのは、まったくもって地域コミュニティの責任であるし、その人をそうした親に育ててしまった、これまでの「教育」の責任でもある。「体罰の会」に託したい、という「親」に育ててしまった、これまでの「教育システム」全般が、猛烈な反省をしなければならない。

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 コメント一覧 (2)

    • 2. arigato3939
    • 2013年02月04日 20:15
    • 橋本市体罰目撃者さん、コメントありがとうございます。読ませていただくと大変なご様子がよく分かります。先生を叩いたり、暴れる、という時点で相当なケアが必要なことがわかります。毎日でも親御さんに学校へ来ていただいて、その暴れてしまう子を救うために何が必要なのかまずは胸襟を開いて話し合う体制をつくることか、と思いました。授業以前の問題ですよね。授業はいくら遅れてもいいので、その子の心にしっかりと添い遂げることかと思いました。ただしそれだと授業が遅れてしまって大変ですから、これは学校全体でどうサポートするか・・・。さらには授業中に急にクラスメイト殴るとのこと、このことだけでも重大事件ですから、何日も話し合うことかと思います。・・・ただ、母親の虐待、ということをお書きになっていますね。お母様のご協力を得られるかどうか、難しいこともあるかもわかりません。そうであれば、ちょっと他に打つ手がないのではないか、というくらいに苦しい状況です。「先生は正義の味方」とのことですが、他の子を守らなければならない、学級全体が崩壊することの恐ろしさを感じつつの、とっさの体罰行動、という見方ができるかもしれません。先生も気の毒なのです。しかし、そこが本当に苦しい、抜け出さなければならない壁の一つ目で、大きな、大きな、本当に分厚い、苦しい苦しい壁を乗り越えるところで、やはり体罰は、子どもからの信頼をすべて瓦解させてしまうわけです。先生だって、言いたいことがあるんだ!!という気持ちが、なんとかこの子に伝わるといい、どうしたら私の気持ちが伝わるのか・・・なぜ、通じていかないのか、どこまで苦しめば通じ合うことができるのだろうか・・・と担任の先生も心の中では十分すぎるほど迷い、苦しんでこられたことなのだと思います。しかし、とっさに手が出てしまった。<br>これは、やはり、大人のやることではないです。<br>いかに弁護したくても、できないのです。<br>手を出してはならない。<br>そういうと、「体罰の会」の方などは、「ほら見たことか」とおっしゃるでしょうし、元気になって、「やはり体罰が要るのだ」と主張したがるのではないかと想像します。<br>しかし、手を出したくなるほどまでに追いつめられた先生だからこそ、見える世界があるのです。ふつうはなかなか見えてきません。子育てなんてこんなものだ、と思っているから。<br>私は、この体罰してしまった先生を、「あかん先生」とは思いません。むしろ、今、一番、本当の先生になれるチャンスに立っている先生だと思います。だから、話題にしたいのです。体罰の会のみなさんも、あと一息なんだけどなあ、といつも思っています。さなぎが蝶になるように、「怒り」が溶けて、スーッと、子どもの信頼が得られる先生に生まれ変われるように思います。何も考えず、こんなものと日々の行事に追い立てられている先生、授業の準備だけに忙殺されている先生には、見えてこないんじゃないかなぁ。
    • 1. 橋本市体罰目撃者
    • 2013年02月04日 19:39
    • 先生が手を出す前にコイツが先生にアホとか言いながら、先生を叩いたたり暴れよってん。<br>授業中、急にクラスメイト殴るし鉛筆で刺してくるし、母親はコイツを虐待してる…<br>自分の育児ノイローゼの腹いせ、体罰ブームに乗っかった。<br>先生は正義の味方

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