「どうでもいい」


とさけびたくなることってありますが、これなんかはその典型的な例です。
こんなの、教師に聞くかよ、と。

「べつにだれでもいいと思うよ。誘いたい人誘う、というので」

と返事をすると、

「それが分からないから、聞いているんじゃん」

と言う。
ほっとくと、そのうちに、
「先生がきちんと娘の話を聞いてくださっているのか・・・」
という保護者から連絡帳が届いたりして、本当にどぎまぎします。

いやあ、お誕生会にだれをさそうか。
おそらく、小学生だと、友達に線を引くのが、能力的に無理なのかもしれませんね。
かといって、「クラス全員が友達だから」と35人誘うのも、キャパシティが無理。

「せんせい、どうする?」

と聞いてくるから、

(そんなの、こっちが決めることじゃないぞ!)

と心の中で思いながら、じっと眼をつぶり、実はまったく関係のない、明日の授業のことを考えています。


あとで聞いてみると、驚愕することに、それにどうやら親が関わっているらしい。
どうも母親が娘に、
「線引きがむずかしいから、この際、先生に相談してみなさい」
と提案したそうです。

アホかッ!

その場面で親が言うべきセリフは、

「ともかくあなたの誕生日会なんだから、あなたが5人、決めてしまいなさい。」

であるべきか、もしくは

「悩んでるなら、やめたら?」

か、

「お部屋をひとつ開放するから、35人でも何人でも、都合のつく人全員、かまわないからどんどん来て!って、学校に張り紙をだしたら?」

であるべきでしょう。

どうやら、親としての心配は、クラスの人間関係がこわれないように、という配慮なのですよね。今の時期に、うちの娘が関わっている友達関係が、いちばんうまくいくベストメンバーを、提案できるのは担任の先生だ。そこで先生にうかがって、いちばんよい5人を推薦してもらおう。そうすれば、まさかとんでもない不良は来ないだろうし、落ち着いた子ばかりが集うに違いない。

まあ、頭の良いお母様だな、とある意味、尊敬もします。

しかし、お友達を限定する、という、もっとも重要な局面において、親は出過ぎるべきでないし、いわゆる「管理下」におくべきでもない。だれでもいいから、あなたがいい、と思う子を呼んでくればいい、とすべきだろうと思う。

「だれと仲良くなればいいのか」

は、子どもが自分で決める仕事。親が決めるのでない。
どんな子でも、いっしょに遊んでかまわない。
親は口出ししない。
しかし、それで躓いたときは、親がしっかりとフォローする。

おそらくここが一番のポイントで、何かあったとき、うまくフォローする自信が日本中の親から失われているために、子ども自身も

「だれとつきあえば失敗しないか」
と不安になってしまっているのではないでしょうか。



(と、ここまで書いてきて、これ、子どもだけの問題じゃないな、大人も人間関係の修復が苦手になってきているよな、と・・・)