A子に「親友」と呼ばれ始めた時点で、なにかがくるいはじめた。
A子はボス。
クラスの女子の中で、もっとも人の心を「突く」のがうまい。

「親友」という甘い言葉を使いながら、その実は、クラスの女子を自分のお気に入りと、そうでない者とにふるい分けていく。

ずるがしこいのは、それをさらにランク付けにして、5段階ほどの表にする。
それを示して、クラスの女子を競争させるのだ。

「あんたは大親友。B子はただの親友。C子は仲良しの友達。Dはふつうのともだち。Eはともだち未満」

などという。
たわいもないこと、のように見えるが、ランク付けされた当人たちはもう生きるか死ぬか、というくらいに顔が青ざめている。

A子がクラスの女子を支配して、相手の弱みを突く。
A子は、「支配する味」を覚えた。
他の女子は、A子の言動に逆らうような意見をいうわけにはいかない。
あまりにも、グループがセクト化し、セクトの外に出ることの恐怖感が強すぎるのだ。

こんな人間関係は、実は空疎で、すぐに瓦解する。
それは、この子たちが中学校に入れば、とたんに雲散霧消する。

「中学入ってから、一回も話していない」
なんていう。

去年まで、あれほどくっついて、行動していたくせに。

「どうして」

と問うと、

「今までの、本気じゃなかったから」

と、見事なほどあっさり、と言う。



いちばん悲惨なのは、A子であります。
せっかくつくった、パワーバランスの中で、ようやっと自分自身を癒していたのに、それがすべて消えてしまうのです。

A子がいちばん、苦しんでいる。
そういう、いびつな人間関係で、つかの間の「癒し」を餌にして生きてきた。それが、果たせなくなる。
いびつな人間関係を作らざるを得ない、そうせざるを得ない、窮屈な、みじめな洞窟暮らしを続けてきたのだ。

A子をここまで追い詰めたのは、誰だ。

A子がもっともほしいのは、「親友」だ。
「親友」のラベルを友達につけようとしたA子が、実はもっとも「親友」から見放されている。


「親友」という言葉を使えば使うほど、「親友」がいなくなる。
「ともだち」という言葉を使えば使うほど、「ともだち」がいなくなる。
「ほしい、ほしい」と言えば言うほど、得られない。
なんと、皮肉なことよ。