運動会にかけるエネルギーが、学校を大きく包み込んで、良くも悪くも、学校を巨大な競技場にしたてあげていく。
それは本当におもしろいことでもあり、子どもが変化するタイミングにもなり、すべての児童のよき思い出にもなり得るし、一片の浄化装置にもなっている。
これより先はプライベートモードに設定されています。閲覧するには許可ユーザーでログインが必要です。
コメント一覧 (2)
-
- 2012年09月07日 21:30
-
ちびこさん、コメントありがとうございます。誰のため、という視点、一番大切ですよね。<br>行事の過剰、ということ。「過剰」という状態そのものが、「病理」なのだ、という認識に立つこともできます。好奇心の赴くままにどっぷりと体験に浸りきる、ということとはちがって、「そうであること以外のことができない」状態。金縛り状態。これは苦しい。運動会のような行事に「金縛り」になっている先生は、苦しいです。(年配の先生の言うことをしっかり守ろうとしている若い先生が気の毒で・・・)
-
- 2012年09月07日 17:46
-
運動会は一種のお祭りなので、楽しくあってほしいと思いますが、たった1日の為に半年も前から練習を重ね、酷暑の中ただただ苦痛と戦っていた子供たちを見て、誰の為の運動会だろうって思ったことを思い出しました。半年もあったら他にもっと学ぶべきことがあっただろうに・・・。色々な考えの保護者や生徒がいるので、先生方も苦労されますね。